加志波良比古神社

珠洲市宝立町柏原40-35 (平成21年7月15日)

東経137度13分46.03秒、北緯37度23分46.05秒に鎮座。

【神社情報・ナッキーさんより】
この神社は、能登半島の先端、珠洲市。その珠洲市の南西5km程辺りの宝立町柏原の町中に鎮座しております。

御祭神 加志波良比古神・伊加志穂比古神
由緒
延喜式内社で、崇神天皇の御宇大神当地に降臨の時の創建と伝える。海上より渡航せられて初めて発見された島を見附島と称し、上陸された地が着崎で、現在もある。往古は末社21社神職12人、社料一千石を下腸され、近郷70ヵ村の総社である。明治5年郷社に列格、大正11年神饌幣帛料供進神社に指定された。
石川県神社庁公式サイトより。

加志波良比古神社
本社は延喜式内の古社で、加志波良比古大神が、御降臨の際、海上より渡航になり、始めて発見された島を見附島と称し、陸に着かれたところを着崎といい、それより、神楽畷を経て神行、今の地に御鎮座という。
古くは、近郷七十ヶ村の総社にして、摂末社二十一社、神職十二人、社領一千石の大社で、治承年中には、宮内権少輔、藤原保重が勅使として参向したとも伝えられる。また室町時代には、社人、社僧も多く、別当に神宮寺があったともいわれていたが、天正の兵乱で、神社は破壊され、次いで、宝永三年の火事で、旧記、棟札等一切を焼失し昔日の面影がなくなる。
十七世紀の末期、広国村の、茂右衛門が大願主となって、お仮屋を建て、加志波良比古神社の再興をはかる。
明治五年五月、本殿造営、同年九月郷社に列せられる。平成三年九月二十八日の台風により、本殿、拝殿、鳥居等が壊滅的被害を受けたが、氏子、有志等の浄財で、復興再建。平成五年五月二十三日慶賀祭を行う。
尚本社の例祭は、四月二十三日であり、珠洲市式内社三座の一社である。
境内由緒書より。全文はこちら。

神社入り口と社号標

境内

社殿