宿那彦神像石(すくなひこかみかたいし)神社

七尾市黒崎町ヘ28-3 (平成21年7月16日)

東経137度3分15.9秒、北緯36度59分17.55秒に鎮座。

【神社情報・ナッキーさんより】
この神社は、七尾市の南東、富山湾にの近い、黒崎町に鎮座しております。

御祭神 少彦名神・健御名方命
由緒
勧請暦不詳なるも、延寳五年神主家明細お届書に據れば、天平宝字八年勅使藤原永平、口能登大呑熊郡別山東(ワカヤマサキ)邑に熊武都(クマブツ)の長者(タケヲ)と諱(イミナ)賜比祀らる。大呑熊六合郷里大(ト)宮にと玖郎前関(クラウサキセキ)に坐す貞宿那彦神像石社とに神鏡弐面を賜り再興会宣旨を給うと所載されている。延長弐年、藤原忠平撰集「延喜式巻第十」府能登郡17座末行阿良加志比古神ノ社末筆貞宿那彦神像石社登録す第百弐拾弐代明治天皇拾四年辛巳(カノトミ)歳遷暦「大解除式(オホハラヘのノリ)」第弐拾回解齋とあるを逆算すれば初回は聖武帝神亀天平拾参年辛巳(カノトミ)歳「蔵闢良岐(クラビラキ)」されたこととなる。亦、奈良正倉院の御物、丹物の調庸銘が当大宮の鎮座地名に合致。萬葉集の國守、家持卿の出擧の歌 3881珠洲能宇美(スヅノウミ)に朝闢(アサビ)らきして榜(コ)ぎ来れ波奈我濱の浦に月照りに家里右、治布に遷(カヘ)る時、之を作る。註に、治布は大沼郡(オホヌミヤコホリ)(元の郡名)今、大呑熊郡別山東邑(ワケヤマサキムラ)宇治布夫(ジブデ)の地名、其れならむ。
神護院霊夢山眞吾布陀樂寺別当舎跡地波治布大門なり。
石川県神社庁公式サイトより。

不思議なことにこの由緒は山崎町の阿良加志比古神社境内の由緒書と同文です。宮司さんは兼任のようですが、由緒書も兼任なのでしょうか。原文はこちら。

参道入り口に立つ鳥居と社号標

境内入り口

境内入り口の岡崎型狛犬

拝殿

拝殿と本殿覆屋