松尾天神社

七尾市矢田町 (平成21年7月16日)

東経136度58分42.36秒、北緯37度1分35.6秒に鎮座。

【神社情報・ナッキーさんより】
この神社は、七尾市の南東9km程の辺り、富山県に近い、山崎町に鎮座しております。

御祭神 少彦名神・菅原道眞
由緒
この松尾天神社は古来「薬師天神」と称して、医師や薬種屋をはじめて、広く人々の尊崇を集めて参りました。近来、学問の神、受験・進学の神として「天神サン」の名をもって親しまれております。「天神サン」は、万民の幸せの為に広大無辺の御神徳を垂れ給います。(沿革)創設はさだかではありませんが、古く大己貴神が能登の国を平定された時、それに力をあわせられた少名毘古那神が、この地に住民の病気・怪我などを治すべき施設を造り、人々から慕われ、鎮撫平定の効大いに上がった伝えられています。その後住民たちは小名毘古那神の神徳を慕い、尊んで社を建てたのが始まりとされています。平安期の天喜三年に北野天満宮より菅原道真公の御分霊を勧請し、合せ奉って「松尾天満宮」と称して明治に至り、明治6年「松尾天神社」となり現在に至っています。現在の社殿は、昭和60年11月に新築したものです。
石川県神社庁公式サイトより。

松尾天神社御由緒書
当地は七ッ尾崎の首位松の尾に位置し、上古少名毘古神・大己貴神と共に国土経営の時この松尾山に垂跡し給ひし霊地なるによりその神徳の功績を崇敬し人皇八代孝元天皇の御宇宮社を創建し薬師天神と称し社僧社人を置き荘厳を極めたという。人皇七十代後冷泉天皇の御宇天喜三年三月二十五日京都北野天満宮より御分霊を勧請して合祀し社号を松ノ尾天満神社と改称す。能登国守護畠山氏累代の氏神として祈願せられ四時の祭祀はもちろん多くの社領を寄せ厳しき崇敬の念ありしも天正年間の兵火に罹り社殿重宝記録等悉く烏有に帰せりと。前田利家能登国を領するに当り国家安全五穀成就の祈願所となり、多くの社領寄進や社殿の改築を成した。寛政四年三月天満宮と社号を改め、明治六年六月松尾天神社と改め現在に至る。御祭神少名毘古神の神徳を敬慕して医師薬剤師酒造家の参詣が多く、六月県下小中学生競書大会は長い伝統あり。
境内由緒書より。原文はこちら。

参道入り口に立つ鳥居と社号標

狛犬と拝殿

拝殿前の岡崎型狛犬

拝殿

本殿覆屋