久麻加夫都阿良加志比古神社

七尾市中島町宮前ホ部68-1-1 (平成21年5月5日)

東経136度50分12.41秒、北緯37度07分39.13秒に鎮座。

この神社は、七尾西湾に注ぐ熊木川の中流域、中島町宮前に鎮座しております。古くは熊来郷、中世は熊来荘と呼ばれ、熊木とも書き川の名前となったようです。

御祭神:阿良加志比古神・都奴加阿良斯止神

由緒
当社は久麻加夫都阿良加志比古(くまかぶとあらかしひこ)神社、一般的には『おくまかぶと』の称で親しまれ古来より氏子・崇敬者らに親しまれております。御祭神は、久麻加夫都阿良加志比古(くまかぶとあらかしひこの)神・都奴加阿良斯止(つぬがあらしとの)神の二柱の神をお祀りしてあります。この神々は韓国の王族で阿良加志比古神については地神とも、3〜4世紀頃の南朝鮮の阿羅(あら)国の王族とも言われており、その後、現在の鎮座地方を平定され守護神としてお祀りしてあります。都奴加阿良斯止神についても『日本書紀』の「垂仁紀」2年条の分註に、『御間城天皇之世、額有角人、乗一船、泊于越国笥飯浦。故号其処曰角鹿也。問之曰、何国人也。対曰、意富加羅国王之子、名都怒我阿羅斯等。』の記事があり、4〜6世紀頃、朝鮮の南の方に栄えていた国の王子で、現在の敦賀に上陸、渡来したと記されております。毎年9月20日に行われます例祭は一名を『二十日祭り』とも言い、昭和56年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。祭りは20日のお旅所である加茂原までの渡御の順番を決めるクジ引きをする6日の「しらい」から始まり、19日夕刻からの「奉幣迎え」、翌20日早朝から氏子19の末社が本社に集まり境内へと「参入」する、定刻10時30分に社務所から宮司、献幣使、神職、氏子総代が出発し「奉幣式」を行い、五穀豊穣・万国平安を祈念する「祭典」を始めます。高さ20m余りの真紅の大枠旗30数基と金色に輝く20基の神輿。華やかな色彩の鳥兜をかぶり、狩衣を着け、面棒を持った猿田彦の乱舞や鉦・太鼓のリズムは華麗にして荘厳な中にも地方色極めて豊かな情趣をかもし出す美観は全国にも稀に見る祭礼であります。摂社の『薬師社』には藤原時代の作とされ作が極めて優秀であることから県の有形文化財に指定された「熊甲薬師如来座像(くまかぶとやくしにょらいざぞう)」が安置されており神仏混淆の名残をとどめています。境内にある校倉造りの『宝物殿』には弘法大師が能州遊行の砌、当社に寄進されたと伝えられる「紺紙金泥法華経(こんしこんでいほけきょう)」が納められていました。
石川県神社庁公式サイトより。

御祭神は朝鮮半島の御出身のようです。熊来の由来として、高句麗よりやって来たので、高麗来(こまき)。或いは高麗柵(こまき)であると言う。また、この神社は、延喜式神名帳に能登国羽咋郡「久麻加夫都阿良加志比古神社」と記載される、所謂式内社です。普通社号標とか由緒書に式内社である旨、誇らしげに書かれるのですが、何故かこの神社はその点に関しては控えめです。神道原理主義とも思われる明治政府に遠慮があったのでしょうか。

神社入り口と社号標

拝殿

拝殿内部と本殿

拝殿と本殿

加茂社の参道と加茂社

薬師社

校倉造りの宝物庫

御神木