荒石比古神社

七尾市川尻町チ1甲 (平成21年5月5日)

東経136度53分58.51秒、北緯37度03分55.26秒に鎮座。

この神社は、和倉温泉の西側3km程の川尻町、川尻川の東側に鎮座しております。こじんまりとした杜に囲まれた長閑な神社です。

御祭神:石凝姥命・倉稻魂命・少比古那神

由緒
延喜式内社にあてられ、中頃薬師十二神社とも称した。神功皇后征韓の折、帰途乗船の一部は風浪の為、川尻に漂着し、その従者らは垣吉に居住して、その守護神少比古那神をこの山間に奉祀し、社号を現社名としたのがその創祀である。その後、神示によって現社の地、通称大宮地に社殿を造営し奉遷したともいう。
石川県神社庁公式サイトより。

延喜式内社荒石比古神社由緒
田鶴浜町字川尻に鎮座まします荒石比古神社は、その昔一千年前、第六十代醍醐天皇の御代既に、延喜の制定められし時の式内社として全国三千一百三十二座の中の一に数えられて古来藤原前期より崇敬し奉つて来たのであります。
往古千七百年前、神功皇后征韓御帰途の折御来船の一部風浪のため字川尻に漂着され給いその武将は従者と共に字垣吉に居住されその守護神を垣吉の山間に奉祀し社号を荒石比古神社と称され給うたのがその創祀であります。その後神示によって通称大宮地先つ森とも云われし現鎮座地に社殿を造営し遷し奉まつったと謂い伝えられております。御祭神に石凝姥命、倉稲魂命であらせられ中古両部神道の旺盛なる頃は薬師十二神と崇められ尊崇極まりない神様でありまして又都怒我阿羅斯等命とも云われております。石凝姥命は高天原において天照大御神 天岩屋戸えこもられ給うた時三種製作につき御高績を現わされ御鏡を鍛え造らせ給い大御神様の御顔を写し奉つた御由緒御事績が古事記にも書かれてあるのであります。この御鎮座地は遠く源を鞍掛山麓から流れを発し悠久川尻川の流れと共にその辺に皇神奉斉にふさわしく先つ森の大宮地と往古より称えて鎮座ましました隆盛が偲ばれるのであります。私達は、私達のいのちを御守り下さる氏神様を始め奉り生活をさせて下さる倉稲魂神を心からお祀りされた祖先の方々の報賽に感謝し誠を捧げねばならぬと思う次第でありますので漸次御社殿並に御境内を清く明るく整備し神様に美しくして差し上げたいと茲に有志の方々の御協力を仰ぎ御奉賛をひたすら御願い申し上げる次第であります。
境内由緒書より。原文はこちら。

神社全景と社号標

神社入り口

拝殿

本殿