刀何理(とかり)神社

小松市矢田町レ-50(平成24年6月3日)

東経136度24分41.55秒、北緯36度20分23.72秒に鎮座。

 この神社は北陸本線・粟津駅の南西約2km、線路際に鎮座しています。道路からは黒々とした大きな森が見え、入口には灯篭と鳥居。鳥居の額や社号標には「式内 刀何理神社」と記されています。参道には二の鳥居や灯籠が立ち並び、大きな杜の中の境内としては以外に明るい感じがしました。拝殿前には大正6年生まれの出雲狛犬がおり、ガラスで周囲を囲まれた千鳥破風唐破風付き入母屋造りの拝殿や弊殿、流造の本殿等をお護りしています。

 御祭神:菊理媛神、応神天皇
 祭礼日:不明
 境内社:一社
 由緒:創立年月不詳 古く江沼八郷の一つで八田郷と呼ばれていた 遠く仁徳天皇の八田皇后の御名代として 矢田連のいた地方であった
 延喜式内社として神名帳に記載された(九〇八年)初め白山社(福羅の宮 )といったが 明治十一年九月普久良神社と改める
 明治三十九年十一月(一九〇六年) 無格社刀何理神社を合祀し刀何理神社と改称する 明治四十一年四月八日神饌幣帛料の供進神社に指定村社となる
 明治五年十月(一八七二年)に那谷村より旧拝殿を移築する 大正六年七月に幣殿の修復工事もせられた その後社殿の老朽化がすすむと共に改築の気運高まり 氏子並びに縁故者を始め篤志家各位の物心両面にわたる温かい援助により新社殿をめでたく造営 昭和六十一年十月十日慶賀祭を行ない氏子をあげて完成を慶祝する
(「刀何理神社の由来」より)

創立年月不詳、古くは、江沼八郷の一つで八田郷と呼ばれていた、遠く仁徳天皇の八田皇后の御名代をして八田連の居た地方であった。延喜式内社として神名帳に記載され初め白山社(福羅の宮)といったが明治11年9月に普久良神社と改める。明治39年11月(1906)に八幡神社(借屋の宮)と称していた無格社刀何理神社を合併し刀何理神社と改称する。明治41年4月8日神饌幣帛供進神社に指定され村社となる。
(「石川県神社庁公式サイト」より)

黒々とした大きな森に見える神社遠景
神社入口
入口に立つ一の台輪鳥居
鳥居に掛かる額「式内 刀何理神社」 社号標「式内 刀何理神社」
参道に立つ二の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
「式内 刀何理神社」
参道の様子
境内の様子
拝殿前にいる大正6年生まれの出雲狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正6年(1917)建立)
ガラスで周囲を囲まれた千鳥破風唐破風付き入母屋造りの拝殿
弊殿と流造の本殿

石祠の末社
磐持石(力石)
ご神木