徳橋神社

小松市埴田町ト (平成26年10月18日)

東経136度30分57.24秒、北緯36度24分16.63秒に鎮座。

この神社は、JR北陸本線・小松駅の東6km程の辺り、埴田町の街外れに鎮座しております。

御祭神 倉稲魂神・大田神・大宮女神・伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理媛命

由緒
当町の歴史は古く、多くの遺跡や伝承が有り、江戸時代には徳橋組22か村を治めた10村役の在所として栄えてきた。神社も古い由緒をもっている。町東方の後山には、後山明神古墳、無常堂古墳など優れた副葬品を伴う数基の古墳があり、そこに「稲荷明神」が祀られていた。いつの頃か現在地に移された。また町東南の天山の地に「白山社」があり、更に町西北の古府境に近い所に稲荷神を祀る「宇野神社」があった。
徳橋神社は昔、山城国より稲荷明神の分霊を勧請し稲荷社といわれた。加賀の国府の近くであり、歴代国司の崇敬が厚く、毎年奉幣があったと伝えられている。明治29年(1896)に「西宮稲荷神社」と改め、明治40年(1907)11月10日に前記の白山社、宇野神社を合併し「徳橋神社」と改称した。・・・・・中略
神徳、益々輝き、とこしえに町の安全と繁栄を護り鎮め給うている。
境内由緒書き より。

由緒
当地方は往古屯倉(みやけ)といって、屯倉の衛士が住んでいたという。山城より稲荷明神の分霊を勧請し小祠を建て祀った。国司の崇敬篤く毎年奉幣があったという。明治29年西宮稲荷神社と改称。又西宮稲荷と改め、同40年に南方天山の地の白山社、三宅野の西方宮宇野神社を合祀し徳橋神社と改称した。
石川県神社庁公式サイト より。

参道入口

参道

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(明治10年(1877)9月吉日建立)

境内

拝殿

本殿覆屋


石祠

石祠を護る陶器製狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

末社

社叢