三谷白山(さんだにしらやま)神社

小松市三谷町イ109 (平成26年10月18日)

東経136度27分40.83秒、北緯36度22分06.67秒に鎮座。

この神社は、JR北陸本線・小松駅の南3.5km程の辺り、三谷町の街中に鎮座しております。

御祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理媛命・天照皇大神

由緒
本町の北端に縄文時代の遺跡があり、東南丘陵裾の三谷大谷遺跡は平安時代の集落跡であり、早くから拓かれた所である。戦国時代には一向一揆の三谷堡が南端に築かれた。天正2年(1574)織田信長に後略あされたが、岸田常徳寺が取り返したという記録がある。
寛永17年(1640)、前田利常が小松在城の折、本町に七千石の小幡下野、三千石の同右京等の高禄の重臣が居を構え、町は殷賑をきわめた。彼等は神社に神宝を奉納したと伝えられている。社地は現在地であったと思われる。それは今境内にある杉の巨木がこのことを物語っている。また町の北方には厳御魂(いつのみたま)社(神明宮)がまつられていた。
明治20年(1887)10月社号を「三谷白山神社」と改称した。明治39年(1906)12月29日神饌幣帛料供進神社に指定された。明治40年(1907)6月16日厳御魂社を現在地に移し、合祀した。
現社殿は昭和9年(1934)に用材は木曽の桧をもって改築にとりかかり、翌10年(1935)11月15日落成慶賀祭を行った。神明殿は昭和53年(1978)10月改築したものである。
本町は昔から豊かな野の幸、潟の幸に恵まれ繁栄してきた。この所に鎮座まします神は永に町の平和と人々の安泰を護り給うことであろう。
境内由緒書き より。

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由緒
本社の創祀年代は明記を欠くが、今より500年前に現存の社と伝えられ前田利常の小松在城の時、その家臣小幡下野ら居を当地に構え、神宝を奉納したという。もと白山社と称したが明治20年三谷白山神社と改め、同39年神饌幣帛料供進神社に指定。同40年神明社を合祀。昭和10年社殿改築。
石川県神社庁公式サイト より。

神社入口

社号標と鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

本殿覆屋


神明社鳥居

社殿

神明社を護る逆立ち狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)