小野神社

小松市小野町巳191 (平成26年10月18日)

東経136度30分27.97秒、北緯36度24分35.22秒に鎮座。

この神社は、JR北陸本線・明峰駅の東4km程の辺り、小野町の街中に鎮座しております。

御祭神 応神天皇・神功皇后・比淘蜷_・伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理媛命

由緒
梯川と鍋谷川の合流点近く、この両川にはさまれた台地一帯は、古代の政治、宗教、文化の中心地であった。嵯峨天皇の弘仁14年(823)3月、越前国が割かれ加賀国が建国されたとき、国府庁がこの台地に置かれた。本村はこの国衙の近くでもあり、集落のにぎわいを形容するのに「国府千軒小野千軒」といい伝えられていることや、近くの「しのまち遺跡」から出土する平安時代の墨書時などから推測しても、この時代既にかなりの集落が出来ていたことがわかる。
人々は各々その生業にいそしみ、祖先神を祀り、氏神として崇敬してきた。この社は延長5年(927)記録の延喜式神名帳に登載されている莵橋(うはし)神社であり、本村「堂の爪」とよばれる所であった。中世末に上小松村へ、江戸時代初期前田利常小松在城のとき。現在の浜田町に遷座された。その縁によって春季例祭の神輿渡御には、木村の若連中が行って担がなければ出御せられなかったといわれている。
莵橋神社遷座の後、その摂社の堂の宮があった。また村の南方に八幡社があり、祭神は応神天皇、神功皇后、比淘蜷_の三柱の神を祀った。尚村の西北に白山社があり、祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊、菊理媛命の三柱の神を祀った。神々の御神徳と御加護により村民は平和安穏に農耕殖産の道に精を出し藩政の初め頃には村の草高は475石であった。文政2年(1819)には、現社殿東方の所に藪六右ヱ門が小野窯をはじめ、九谷庄三など多くの名工を生み出した。社宝の色絵唐草文御神酒徳利は、小野窯の代表的な名品である。
明治時代(1868〜1911)になり、三社を合併して一社とした。堂の宮の御神体は小松莵橋神社へ移し、明治40年(1907)5月2日には八幡社と白山社を合併して、小野神社と改める許可を内務省よりうけ、同年(1907)9月1日合祀を完了した。従って小野神社の祭神は六柱の神となっているのである。
旧社殿については、文久元年(1861)7月建立の棟札が残っている。現社殿は昭和15年(1940)10月28日願主小野神社々掌上田正宣、施主小野區民一同によって、再興落成し、今日に至っている。
境内由緒書き より。

由緒
元八幡社と称し、明治40年白山社を合併して小野神社と改称する。昭和になって社殿改築を行い、社頭面目一新。殊に庶民の崇敬厚い。
石川県神社庁公式サイト より。

参道入口と一の鳥居

二の鳥居

境内

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(明治43年(1910)9月吉日建立)

拝殿

本殿覆屋


神明宮