長崎白山神社

小松市長崎町ホ579甲 (平成26年10月18日)

東経136度26分09.83秒、北緯36度25分22.21秒に鎮座。

この神社は、北陸自動車道・小松ICの北北東500m程の辺り、長崎町の街中に鎮座しております。

御祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理比当ス・小彦名命・経津主命・武甕槌命・天児屋根命

由緒
能美郡誌などによれば、長崎勘解由左衛門為基が、元徳2年(1330)海辺に草庵を立て、後この浦を長崎浜といひ、とありて、この頃より長崎村が発祥した様にも思わる。
しかし京都東寺文書に 承和9年(842)加賀国長前村とあるから、その頃長崎村は、東寺領地であり、村の起原はもっと早い事となる。寺は最初称名寺と称し、寛正2年(1461)以後は眞宗寺と改められた。その頃は京都北野神社領地であり、同社松梅院が代官であった。然し一向一揆の時代となったがその時代も終り、慶安元年(1648)には眞宗寺は新潟へ移り、その下寺であった眞入寺が現存している。
長崎白山神社起原も亦、村成立と同じ頃と考えられる。現在祭神として、伊弉諾尊、伊弉冉尊、菊理比当ス、小彦名命、経津主命、武甕槌命、天児屋根命、を奉祀している。
明治2年(1869)頃村民居住地を東方の低地より現在の地に移転する時、丙76番地附近に鎮座せし白山社と、ホ523番地へ移転する議があったが、事情があって現在地へ遷祀鎮座したのは明治20年(1887)2月24日である。
更にホの部に鎮座せし俗称薬師様、イ70番地附近にありし俗称開き神様を合祀した。これを能美郡誌には明治39年(1906)12月8日、無格社小彦名社及び春日社、合併の許可を得たとある。然し同月29日神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
境内由緒書き より。

由緒
元は白山社と称し、明治20年現在の地に遷座。同年長崎白山神社と改称す。明治39年無格社少彦名社、春日社を本社へ合祀。
石川県神社庁公式サイト より。

神社入口と一の鳥居

二の鳥居

境内

手前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正15年(1926)4月建立)
奥側の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和16年(1941)7月台改)

拝殿

本殿覆屋


白山社

社殿

陶器製神殿狛犬