今江春日神社

小松市今江町6-605 (平成26年10月18日)

東経136度26分26.44秒、北緯36度22分27.22秒に鎮座。

この神社は、JR北陸本線・小松駅の南西3km程の辺り、今江町の街中に鎮座しております。

御祭神 経津主命・武甕槌命・天児屋根命・比淘蜷_・石凝姥命・伊弉諾尊・伊弉冉尊・事代主命・市杵島媛命

由緒
五千年以前の五郎座貝塚や千数百年前の古墳の多いことから、今江の発祥は小松市内でも古い方である。木場潟沿いに南新保村などの六小部落ができて、これが一村に合併して村名が今江と改まったのは、今江城が築かれた五百年前の頃からである。
この今江の氏神は春日神社で、千年前に花山法王が王様屋敷に居住され、やがて別れを惜しむ村民に対し自画像を与えられ、王子宮春日大明神とするよう教えられたのが、お宮のおこりだとの伝承がある。
明治(1868〜1911)の初め一時春日社と称し、同12年(1879)に今江春日神社と改称、同35年(1902)9月22日に社格が郷社に昇格している。同41年(1908)に市美屋社外、三社を合祀し、その後、白山社外、五社を境内社として祀っている。
境内は1205坪の広さであり、各種の古木が繁茂して見事な鎮守の森を形成している。
大正4年(1915)に祝融の災いにあったが、翌年氏子の赤誠で立派に復興再建され、年々氏子の献納物も多い。
祭神は、経津主命、武甕槌命、天児屋根命、比淘蜷_、石凝姥命、伊弉諾尊、伊弉冉尊、事代主命、市杵島媛命の九柱であり、祭礼は4月10日の春祭、8月29日の秋祭、の外に、4月19日と9月2日の「やけん祭」が行われている。

人皇第65代花山帝寛和2年(986)6月、落飾シ入覺禪定ト號シ北嶺ニ三十三所ヲヒラカント思召シ遥々ト越路ヘ、御下向御座シテ、此ノ地ニ三年ノ間旅舎ヲ構ヘ給フ。御庵室ノ跡ヲバ王之院屋敷ト云ウ。法皇外家(外戚)ノ祖春日明神ヲ館ニ奉齋シ給フ。後邑人法皇ヨリ御自畫像ヲ賜ハリ併セ祀ル。是レ擁護ノ宮(おこしの宮)ト云フ。後京華ヲ避ケテ皇子ナド下リ給フコト屢々ナリト傳フ。
文安年中(1444〜1448)今江城主富樫泰高加賀半國ヲ知行スルヤ城郭ノ大構築ヲトトモニ既存の南新保王院あと東新保稗蒔おとしノ六邑を聚メ更ニ石宮、早松ノ宮、野宮、おうこの宮、一宮、おいは宮、明神ノ祠堂ヲ城ノ内外ニ配置ス。特ニおうこの宮ハ氏人タル富樫一族ヲ擧ゲテ崇敬ヲ捧グ。爾来幾星霜ヲ経テ、明治12年(1879)9月春日社ヲ今江春日神社ト改ム。同35年(1902)9月郷社トナル。明治41年(1908)市美屋社、合場社、石美屋社、竹部社ヲ合併シ現今ニ至ル。
境内由緒書き より。

御祭神 経津主命・武甕槌神・天児屋根命・比盗_

由緒
王子(おおこ)さんと言われている。花山法皇の自画像を祀り、王子宮春日明神と称したと伝えられ、明治維新後春日社と称したが、同12年9月今江春日神社と改め、同35年9月郷社に昇格。同37年より41年にかけ野々美屋社・白山社・市美屋社・合場社・石美屋社・竹部社の各神社を合併した。
石川県神社庁公式サイト より。

参道入口

参道

対ではなく一体だけの玉乗り狛犬

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

本殿覆屋


末社

神明宮

諫鼓と雄鳥

南東側脇参道入口