本河田八幡(ほんこうだはちまん)神社

小松市河田町乙 (平成26年10月18日)

東経136度30分39.04秒、北緯36度24分36.39秒に鎮座。

この神社は、JR北陸本線・明峰駅の東南東5km程の辺り、河田町の街中に鎮座しております。

御祭神 応神天皇・神功皇后・比淘蜷_

由緒
当社の鎮座ましますこの舟見丘は、古代加賀の政治・文化・宗教の中心地であった。平安初期の弘仁14年(823)に加賀国が独立したとき、国府及び国分寺がこの丘に設けられた。また当社の北方の麓や、河田向山辺には6.7世紀の横穴古墳がある。このように早くから集落が出来、その鎮守の神が祀られた。
この社は、向山の桜生水の西方にあり、阿古宮とも河田神社とも称せられ、奈良時代称徳天皇(764〜)の御代に創設されたと伝えられている。歴代加賀国司の崇敬も厚く、当町の守り神であった。中世になると集落も益々発達し「河田」の地名も文献に出てくる「康正2年(1456)大祥院加州河田庄分段銭」の文書があり、他にも河田の名がみえる。
藩政時代には、五か村を合して一つの河田村として、寛文10年(1670)の村御印には草高1561石となっている。250年程前の梯川大洪水により、阿古宮付近の集落は現在の谷内地区へ移転したが、神社は明治14年(1881)までその地にあった。
明治38年(1905)に中海村原より金剱宮の建物を譲りうけ社殿を造営した。昭和38年(1963)10月に現社殿及び大鳥居が新築された。境内にある一基の石祠は、山根家の先祖が針医を業としていたが、日頃崇拝していた薬師如来を祀ったものである。
私たちの祖先が、遠い先年の昔から鎮守の神を斎き祭り、敬神の誠を捧げ、村の開発と繁栄に盡してきたのである。
境内由緒書き より。

神社入口

境内

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(御大典記念 大正4年(1915)建立)

拝殿

本殿覆屋