八幡神社

小松市南浅井町ハ183 (平成26年10月18日)

東経136度27分41.16秒、北緯36度22分58.43秒に鎮座。

この神社は、JR北陸本線・小松駅の南南東2km程の辺り、南浅井町の街中に鎮座しております。

御祭神 応仁天皇・神功皇后・比淘蜷_

由緒
本町は梯川の一部が木場潟に流れ注いでいた頃、その沖積地の肥沃な土地にできた集落である。この神社も集落の発達と共に創祀された。社伝によると、もと「おかせの宮」と称していた。麻糸を巻く桛(かせ)を背負った御神像がまつられていた為と言われる。今も社地の北方にある橋を「緒枷橋」と言っている。
慶長5年(1600)8月9日、関が原合戦の余波として、小松城主丹羽長重と金沢城主前田利長とが戦った「浅井畷の戦」や「山代橋の戦」は本町を中心におこなわれたのである。その時に本社の所が丹羽長重の馬立の場所であった。
寛文10年(1670)の「村御印」が保存されているが、草高は643石とされ、税率は四割四分で、本年貢だけで283石の米を出していたことがわかる。副業として畳表の製造も行われていた。戸数は江戸時代を通じ、50戸前後であった。
安政3年(1856)8月15日奉納の石灯籠があるが、その頃は「八幡社」と称していた。明治27年(1894)4月に「八幡神社」と改称し、明治41年(1908)9月2日、神饌幣帛料供進神社に指定された。「村社八幡神社」の社標柱はその時に建立したものである。
境内社として「神明宮」(祭神天照大神)が祭られている。人々はこの神々に敬神の誠を捧げ、神はとしえに人々の安穏と、町の繁栄をお守りになっている。
境内由緒書き より。

村御印(むらごいん)は、江戸時代に加賀藩で行われた年貢の取り決め書。標準的な収穫高と年貢の率などを書面に記し、藩主の印を押して交付した文書。御印が押されていることから「村御印」と呼ばれている。この読み方としては「むらぎょいん」が正しいとする学説もあるが、ここでは通称の方を取った。例えば、富山県高岡市金屋町で2代藩主前田利長の遺徳を偲ぶ「御印祭」は「ごいんさい」と発音されている。
ウィキペディア より

由緒
本社の創祀年代は明記を欠くが、今より100年前に現存の社と伝えられ、もとおかせの宮と称した。御神体が芋鰍背負ったお姿であったからである。神苑の北におかせ橋がある。明治維新の際、八幡社に改称。明治27年4月八幡社と改称した。同41年9月2日神饌幣帛料供進神社に指定された。
石川県神社庁公式サイト より。

参道入口

参道

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正11年(1922)10月建立)

拝殿内部

本殿覆屋

本殿裏の先代狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

神明宮