八幡神社

小松市本江町247 (平成26年10月18日)

東経136度28分38.56秒、北緯36度22分25.12秒に鎮座。

この神社は、JR北陸本線・小松駅の南東1.5km程の辺り、本江町の街外れに鎮座しております。

御祭神 応神天皇・神功皇后・比淘蜷_

由緒
当町は、江戸時代初期までは「本郷」と書かれており、郷の中心の集落として発展してきた。本社も本郷八幡社と称し郷の総社であった。承応(1652〜1654)の頃本江八幡社と改称した。社地は町の中央(旧のレ30)にあり、785平方メートルあった。明治39年(1906)神饌幣帛料供進神社に指定され、社名を八幡神社とした。
明治40年(1907)3月22日に、東山町東北の当町地籍内高宮(たかんみや)にあった厳之御魂(いつのみたま)社(神明宮)を、また町西南の内向島と、南方天王の地の春日社二社を八幡神社境内に移転した。大正2年(1913)5月5日にこれ等諸社を現在地(オ28-7)に移し、社地3647平方メートルとした。この時春日二社を一社に合併し右方に、神明社を左方に祀り境内社とした。八幡神社拝殿はこの時新築し、本殿は旧本殿を、その鞘堂は旧拝殿を移築した。
本社には水神様といわれる陶像がある。藩政時代には当町と上流の東山町との間に、自町の蛇谷堤・宮谷堤等の水の分配をめぐって争いが絶えなかった。遂に文政4年(1821)に九分と一分に分ける取り決めをした。この証文を陶像の背面に彫り神社に祀り同時に豊作を祈ったものである。・・・・・
境内由緒書き より。

由緒
もと本郷八幡社と称した古社である。本郷は郷の本の意義でその産土神である本社は郷の総社であった。承応の頃より本江八幡社と改称した。明治39年神饌幣帛料供進神社に指定。同40年内高宮にあった神明社を、大正2年内向島や天王にあった社を合祀。同時にレ30番地より今の地へ移転。
石川県神社庁公式サイト より。

参道入口

社号標と鳥居

参道

境内入口

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正元年(1912)9月建立)

拝殿

本殿覆屋


春日神社

神明神社

神池

末社