瀬戸比古神社
鹿島郡中能登町瀬戸ケ1,2合併地(平成21年5月4日)
東経136度52分34.53秒、北緯37度0分24.58秒に鎮座。
この神社は良川駅の北北西約4.3Kmに鎮座しています。私達の持参した地図には、伊久留川の傍に神社マークが書かれており、その辺をウロウロしたのですが、「式内 郷社 瀬戸比古神社」社号標と「忠魂碑」しか見つかりません。丁度忠魂碑の建つ近くのお宅の方が出ていらしたのでお尋ねすると、全然違う場所を教えてくださいました。昔はここが神社参道入口だったのでしょうか?
そこから約1km程進むと、確かに神社がありました。ここも道路が変えられたのでしょうか? 鳥居前方は低くコンクリートの崖のようになっていて参道はありません。境内に入ると拝殿は屋根の葺き替え中で、雑然とした感が拭えません。境内の右手、狭い石段の上に境内社が祀られ、木の枝には草鞋が括り付けられていました。
御祭神:速秋津比古命、配祀:應神天皇、軻遇突智命
由緒:当社は、崇神天皇御宇創建せられたる社にして、延喜式内の社なり。仁壽元年(601)文徳天皇の御代より永徳元年(1381)後円融天皇の御宇に至るまでに9度の神位を進められたり。
往昔は瀬戸郷と称し、一郷の惣社にして畠山領主より幾多の神田を寄附せられたりと伝う。
当社の境域は、最も幽古なる霊地にして、地形南北の山間に孤立し、瀬戸川の川の口を塞ぐ此川の水源は羽咋郡倉垣村の山境より発し、此処に架く天造地設の趣あり、御往時、羽咋郡地籍なりし折り、此地を以て能登郡との郡界とす。今は、鹿島郡に属す。
明治40年八幡神社を合祀、明治41年神饌幣帛供進社に昇格す。その後、黒川大明神を合祀し、崇敬せられたり。
式内社「瀬戸比古神社」の論社は外にも二つあります。詳細はこちら。
伊久留川傍、神社の手前約1kmにある「式内 郷社 瀬戸比古神社」社号標と「忠魂碑」
地図にはここに瀬戸比古神社の神社マークが書かれています。 |
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社頭 |
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社号標 |
明神鳥居 |
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拝殿 |
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本殿覆い屋 |
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境内の右手、狭い石段の上で玉垣に囲まれた境内社 |
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境内の木の枝には草鞋が括り付けられていました。 |
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