久て比古神社

鹿島郡中能登町久江ヘ66(平成21年5月4日)

東経136度53分37.22秒、北緯36度56分41.27秒に鎮座。

 この社の「て」という漢字は正式には「氏の下に一」を書きます。能登部駅の南東約2.5kmに鎮座しています。久江の信号のすぐ傍に 「延喜式内 縣社 久て比古神社」という社号標が建ち、道路沿いの入口からは新緑の木々の中の緩やかな階段を上がると、清々しい境内の奥にガラス貼りの拝殿が見えてきます。境内左には私の持っていった地図には記載がありますが、現在は廃校となっていた「久江小学校跡」碑が立っています。広葉樹や紅葉の多い参道境内の様子から、際だった清々しさを感じられた神社でした。

 御祭神:久延毘古神、天目一箇神、火産霊神
 境内社:貴船社、櫛社、諏訪社
 由緒:延喜式内の旧社で創立の年代は不詳であるが、天平宝字6年大旱の際、神徳効応せしより御田大神とも称えられ、毎年4月11日、12日執行の「オケラ餅神事」は近郷の住民集合、五穀豊年祈願の神賑行事盛大に、醍醐天皇朝規の遺格今に存せりと言う。明治31年郷社より県社に列する。
(「石川県神社庁公式サイト」より)
  久延毘古神は 古事記に 「この神は山田の曽當騰(案山子)のこと 足は歩かねど居ながらにして天下のことを知れる神なり」と書かれてあり 博識の神で田や山を司る神なり
 天目一箇神は 古典に 「天岩戸に隠られた天照大神をお迎えする祭祀に献奉りし 鏡の元鉄を鋳造し 自も刀斧鉄鐸を作り献奉りし」と書かれてあり 鉄の器具を造り司る神なり 往古当社が剣神社 剣明神を崇拝されたのはこの御祭神の御神徳灼なればなり
 火産霊神は 軻遇突智命とも称え火を掌り護り給う神で この神の恩頼に依り火の禍を避け火を防ぎ鎮めんと祀りし神なり
 久延毘古神 天目一箇神は 最初に久江に定着した住民の五穀豊穣祈願神として祀られ久て比古神社と称した 千百弐拾年前作製された延喜式に「小社に列し祈年の国幣に預る」と記される古社である 火産霊神は時の推移と共に住民の過半数の守護神として祀られ愛宕神社と称し 江戸末期に久て比古神社に移転合祀す 明治三十一年県社に列し 当時久江に在りし 貴船 諏訪 櫛の三社を境内社とし 現在は社務所内に奉斎す 昭和初期まで続けた春祭の神賑行事の「オケラ餅の神事」は醍醐天皇朝規の遺格を 現今に伝えるものと盛大に執行された
(境内「久て比古神社由緒書」より)

社号標
「延喜式内
 縣社 
久て比古神社」
社頭
社号標 「式内 
久て比古神社」
参道の様子
参道途中の神明鳥居 境内入口
境内入口にいる昭和4年生まれの狛犬
耳の垂れ方や鼻の感じから、正面から見ると漫画で描かれるイノシシか豚のように見えます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和4年(1929)12月2日建立)
境内の様子
拝殿前、昭和48年生まれのブロンズ狛犬
この狛犬は昭和初期に造られた先代が第二次大戦で供出され、台座だけが残っていたのを、昭和48年に再建した物です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和48年(1973)9月吉日建立)
拝殿
本殿鞘堂
境内に置かれた砲弾 「久江小学校跡」碑