石浦神社

金沢市本多町3-1-30(平成18年11月24日)

 この神社は兼六園下のお堀通りと百万石通り、本多通りが交差する広坂信号角に鎮座しています。兼六園のすぐ傍に位置し、あまり大きな社地ではありませんが、背後には本多の森と呼ばれる鎮守の杜が豊かで、境内奥には湧き水でできた小さな池もある、落ち着いて清々しい神社でした。

 御祭神:大物主神、大山咋命、天照大神、菊理媛神、天児屋根命、市杵島姫命、誉田別命
 由緒:金沢市内で最古と言われる歴史ある神社で、旧縣社です。創建は天平年中(729〜748)と伝えられますが、近年、奈良時代(545年)に大きな祭事をしたと書かれている古文書も見つかりました。また、越前国加賀郡に住む三輪の氏子が、奈良時代に居住地に社祠を建て、大和国大神神社の大物主大神を勧請し、三輪神社と号したのを起源とする、あるいは聖武天皇・天平11年(739)に花山天皇の勅により創建、養老年中(717〜723)に松浦氏の女性が大和国の長谷観音を勧請して創建した加賀石浦の長谷観音堂が前身などどいう諸説もあります。いずれにせよ、古くから石浦郷内七ヶ村の総社として金沢市内で最も広大な地域の氏子を持ち、石浦山王または地主権現と呼び親しまれてきました。延喜式神明帳では加賀郡十三座の三輪神社と比定されています。室町時代には大社殿が建ち、参拝者が絶えなかったと言いますが、天正8年(1580)佐久間玄藩盛政が一向一揆の一大拠点である金沢御坊を攻めた時、このあたりが激戦地となり、社殿が焼失し古記録も失いました。その時、御神体は無事に山崎村の愛宕社に避難していましたが、その後は中々社地が定まらず、前田利家が金沢へ入城してのち、慶長11年(1606)にやっと石浦山王の社地に、石浦山長谷寺と称した寺の僧が石浦の神を奉斎しました。寛永18年(1641)本多政重が祠殿を造営、山王地主権現を奉斎していた石浦山長谷寺は長谷山慈光院と改称し、明治初年まで続きました。明治になり神仏分離が成されて後は慈光院の本尊・十一面観音は小立野宝幢寺へ移され、山王地主権現は石浦神社と改称し、明治13年現在地に遷座しました。

社号標「縣社 石浦神社」 神社入口
参道の様子 拝殿
昭和4年生まれの鈴しょうわ狛犬
(昭和4年2月9日建立)
拝殿内の神殿狛犬
もう一対の小さな木彫神殿狛犬(写りが悪くてすいません)
御神輿 本殿
境内社・廣坂稲荷社入口 境内社・廣坂稲荷社拝殿
この神社はハイテクで近づくと自動的に
電気がついたのでビックリしました。
明治24年建立の加賀逆立ち狛犬。
石工の福嶋伊之助さんは逆立ち狛犬を沢山作った三大石工さんの一人だそうです。
逆立ち狛犬を見たのはこれで二対目ですが、此方の方が個性的で
、生き生きとした躍動感に溢れています。只、彫りやすくはありそうですが
石が脆いので、阿の上顎が欠けたり吽の胸が剥落しているのが残念です。
(石工・福嶋伊之助 明治24年4月建立)
高い位置にある廣坂稲荷社本殿 すし塚
包丁塚
狛犬の拡大写真はこちらで