浅野川稲荷神社

金沢市並木町2-2(平成18年11月24日)

東経136度40分5.67秒、北緯36度34分4.63秒に鎮座。

 この神社は浅野川大橋南詰めから川に沿って鏡花の道を東に行くと右手に鎮座しています。心して探さないと解らないほどの小さな神社で、目印は朱の透かし塀と軒下の注連縄でしょうか。

 由緒:元石川郡にあって、社僧天道院が元和2年(1616)金沢惣構堀の稲荷橋の社地に遷座しました。慶安4年(1651)さらに現在地に遷座し、明治14年浅野川稲荷神社と改称しました。と、言われていますが、これには異説があり、他の書物には、上記の稲荷神社由来と浅野川稲荷神社とはまったく関係がないことが書かれている、という方もいらっしゃいます。いずれにせよ現在では「山王さん」「浅野のばんどりさま」として市民に親しまれ、伝統行事の「浅野のそおろり」では木遣りの唄に合わせて子供たちが町内を練り歩くのだそうです。
 又、境内右の植え込み内にはブロンズの鹿が二頭いて、その後に「宝生紫雪先生終焉之地」の碑が建っています。宝生紫雪とは能の宝生流の第15代家元で、現役名を宝生大夫弥五郎友干といい、江戸時代の弘化年間に15日間舞い続ける大勧進能を行った後、家督を石之助に譲り金沢に隠棲して、紫雪と号した人物です。紫雪はこの地で65歳で亡くなりました。

神門と奥に社殿
嘉永元年(1848)の尾立ち狛犬。潰れ顔で上向きのせいか、正面から見るとかなり首が長く見えますが、後からはたっぷりとした鬣とお腹の下の刳りぬきのないお陰で、肉付きの良い均整のとれた身体に見えます。あまり口を開けていない阿には小さくやせ気味の子狛がおり、吽には顔や身体に似つかわしくないほど大きな角が付いています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・治右ヱ門  嘉永元年(1848)4月吉日建立)
社殿内の様子
扁額には「日吉宮」とあります。素敵なお狐様もいらっしゃるようです。
「宝生紫雪先生終焉之地」の碑
この社には、2008年9月より、賽銭箱の隣にこの様な手作りの可愛い「恋みくじ・花みくじ」が置かれています。
浅野川の観光にいらした方が参拝の折にひかれているようですが、これは「参拝してくださる方のお心の癒しになれるような神社であってほしいと願って…。」宮司さんのお嬢さんが一つ一つ心を込めてお作りになっているようです。
既製品にはない温もりと心のこもったこのお神籤、皆さんも金沢観光・浅野川稲荷神社参拝の折にひかれてはいかがでしょうか? きっと人生の一つの指針となる事でしょう…。