額東(ぬかひがし)神社

金沢市額谷町ロ129 (平成26年10月20日)

東経136度37分46.99秒、北緯36度30分21.57秒に鎮座。

この神社は、北陸鉄道石川線・乙丸駅の東南東1km程の辺り、額谷町の街中に鎮座しております。

御祭神 伊邪那岐命・国底立命

由緒
創立は奈良時代の神護景雲2年(768)と伝え、初めは額山に鎮座したという。額地方の東部に位置するので、額東神社と称したのである。新年祭に国幣にあずかって延喜式内の名社である。中世には加賀の守護富樫氏の崇敬が厚く、家臣の金子氏が奉仕にあたったと伝え、一向一揆の兵火にかかって現地に移転したと言われている。古くから額七ヶ村の総社と仰がれ、近世には山伏の宝高寺が奉仕したという。
明治初年(1868)に村社に列し、同33年(1900)には郷社に昇格、同41年(1908)には額谷の道勲神社(國底立命を祭る)を合併した。ついで1150年祭には、元出雲大社宮司、司法大臣 男爵 千家尊福氏が「いざなひて仰ぐはうれし久方の天のみ柱めぐる月日を」という祝賀の歌を寄せた。・・・・
境内由緒書き より。

由緒
延喜式内神社。神護景雲2年の創立、往古は村の東に当たる額山に鎮座。守護富樫家の崇敬も厚く、社頭造営ならびに社料の寄進もあり、額七ヶ村の総社と伝えられる。後富樫氏の兵乱に際し社殿焼失したので現地に遷座したといわれる。明治41年9月18日道勲社を合祀。明治33年郷社に列格。
石川県神社庁公式サイト より。

神社入口

手水舎

境内

拝殿前の逆立ち狛犬。拡大写真はこちら。
(明治14年(1881)9月建立)

拝殿

本殿覆屋


石祠等

御神木

絵馬