宮永八幡神社

白山市宮永町138 (平成26年10月19日)

東経136度34分26.84秒、北緯36度32分27.76秒に鎮座。

この神社は、JR北陸本線・松任駅の北北東2.5km程の辺り、宮永町の街中に鎮座しております。

御祭神 天照大神・豊宇気毘売命・応神天皇

由緒
弘仁14年(823)既に宮永郷に鎮座した旧社で、古来8月15日に放生会神事を執行したので放生八幡宮と称したが、中古以来豊勝宮と号した。天正12年松任城にあった前田利長が放生会に参詣し、丹羽長重も短刀、槍を奉納した。永正2年(1505)まで天台宗極楽寺が参勤したと伝えられている。明治39年11月13日、部落に散在していた、貴船神社、豊受神社、菅原神社を合祀し、40年4月8日神饌幣帛料供進神社に、大正4年11月郷社に列格した。
石川県神社庁公式サイト より。

御祭神 應神天皇・豊宇氣姫神・貴船大神・菅原大神

由緒
當社創始の年代不詳なりと雖も弘仁24年(833)旣に宮永郷鎮座せし舊社にて一國一社の八幡宮として毎年8月15日放生會の神事を執行せしは加賀國にて只當社あるのみ故に放生八幡とも豊勝宮とも稱した。
永延元年(987)富樫忠頼加賀の介となるや神夢ありと祠殿を造營し別に菅公を祠祀し郷の總社と定め累代崇敬せり。特に泰家(富樫泰家、富樫氏6代当主。歌舞伎『勧進帳』の富樫左衛門に比定される。)の時貴船豊受の両末社を置き天台宗極楽寺に管掌せしむ。
寿永2年(1183)源平の戰に木曾義仲當社に詣で幣帛軍扇を奉り神領田を寄進し祈誓文を捧げ戰捷を祈願せり。
天正5年(1577)上杉謙信松任城を攻むるに兵火を放ち本社も其災に嬰り(罹り?)焼失せり。後に社地を今の地に造營せり。舊社地は今の坊の森なり。宮永は古くより大邑にて東手に貴船神社、中手に八幡神社、西手に豊受神社、月田に天満宮あり。
明治39年(1906)11月貴船豊受の二社を本社に合祀、天満宮を菅原神社と改め、末社とあいて境内に遷した大正4年(1915)、郷社に加列さる。
延文4年(1359)富樫氏春の狼藉禁制、文明6年(1474)政親(富樫政親、21代当主)の寄進状其の他奉納鏡、古文書、社記等を蔵す。
境内由緒書き より。

鳥居と社号標

参道

参道途中の逆立ち狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和4年(1929)12月建立)

拝殿

本殿覆屋


菅原神社鳥居

覆屋

菅原神社本殿

神殿狛犬