高爪神社

羽咋郡志賀町大福寺 (平成21年5月6日)

東経136度42分59.65秒、北緯37度11分8.85秒に鎮座。

この神社は、能登半島の東側で「能登富士」と呼ばれている、高爪山の南側山麓に鎮座しております。たいへん緑の豊かな神社で、鳥の鳴き声を聴きながらの参拝となりました。

由緒概略
 高爪山は山容の美しさから「能登富士」と呼ばれている。原始の頃から神体山として崇められていた。やがて農耕生活が始まり、大福寺・酒見川流域の人々から農耕神として、また、遠く加賀・越前の海岸からも望見されるので、航海・漁業の目印となり、航海神として仰がれている。
 山頂には高爪神社奥宮が鎮座する。こうした周辺住民の素朴な信仰であった高爪山も、仏教の流入によって複雑なものに変わっていった。仏者(真言宗)が山麓に寺坊(北の坊他十一坊・五十八院・金龍山大福寺)を建て、六社の神(高爪大明神他五柱)をはじめ、山頂祭祀をも管理するいわゆる神仏習合時代(平安〜幕末)が長く続いた。
 社伝によれば、「往古、内宮・外宮・末社あり、内宮を六社宮と称し、高爪大明神他五柱。外宮を高爪神社神社と称し三柱の神を祭る」と記し、「持統・文武帝、内・外宮を国家安康の祈願所と定む」と伝えている。
 一方、前田利家が十一面観音を安置して以来、高爪神社は観音堂としての信仰をも集め、能登国三十三観音霊所の二十六番札所となり、歴代藩主の崇敬もあり、社殿・社領等の寄進がなされた。明治元年神仏分離令により寺院を廃絶し、御祭神日本武尊を祀る高爪神社(明治三十五年県社に列格)となる。
境内由緒書より。原文はこちら。

明治始めの出来事が簡潔に、しかしはっきりと書かれています。日本中の殆どの神社が明治の時、御祭神を取替え、神社名を改めているのに、遥か昔から連綿と続いているかのような顔をしている神社が大半です。戦前の国家神道の時代は終った筈です。神社由緒書も歴史を踏まえた記述にして欲しいものです。

神社入り口と社号標

石段入り口

参道の石段

拝殿正面

石段上左右、年代不明のメタボな狛犬。拡大写真はこちら。

本殿

社殿全体

能登國二十六番 十一面観音 金龍山大福寺

明治の廃仏毀釈もこの地では、穏やかに行われたのでしょうか。志賀町大福寺と地名にもなっている、大寺院であった、嘗ての、蓮華光院大福寺。この観音堂だけが破壊を免れたのは、住民の篤い信仰に守られたと思いたい。能登国33番観音霊所の第26番の札所として、今も観音講の信者の参詣が行われ、時々、御詠歌の合唱が杜から流れて来るということです。

御神木の椨(たぶのき)。県内第二位、樹齢数百年だそうです。