瀬戸比古神社

羽咋郡志賀町直海 (平成21年5月6日)

東経136度47分21.77秒、北緯37度03分58.27秒に鎮座。

この神社は、能登半島中央部やや括れた辺り、平野部の東側に山を背に鎮座する景色の良い神社です。

瀬戸比古神社社誌碑
祭神 素都乃奈美留の命(そつのなみるのみこと)
由緒
当社は崇神天皇の御代の創建とされ、延喜式内社と傳える。往昔は観音堂、白山権現とも稱され、直海保二十箇村の惣鎮守であった。
歴代武将の崇敬も篤く、天文四年(1535)に当地の領主国沢六郎兵衛徳長が社殿の造立を行なった。寛永六年(1629)には藩老村井飛騨守長家が社殿の修理と社地境内に保護を加えている。
盛時は社家、社僧、巫女百五十余名に及んだと言うがその多くは退轉した。社職は祭神の後裔素都氏が累代奉仕して今日に至っている。
明治六年(1873)直海白山神社と改稱したが明治三十五年(1902)瀬戸比古神社の旧社号に復した。御神徳は古今に輝き、今に近在の氏子崇敬者から深い信仰が寄せられている。
境内由緒書より。原文はこちら。

式内社「瀬戸比古神社」の論社は外にも二つあります。詳細はこちら。

「昔は観音堂」と書かれていますが、地図を見ると東200m程西に釈迦堂の地名があります。「盛時は社家、社僧、巫女百五十余名に及んだ」そうですから、一帯に伽藍が建ち並ぶ大寺院だったのでしょうか。

神社入り口と神門

参道途中の鳥居

参道の石段

石段上左右、おでこの狛犬。拡大写真はこちら。

(紀元2600年 昭和15年(1940)建立)

拝殿と社額。鬼門太社とあるが何処の鬼門なのでしょうか。

本殿覆屋(左側)

本殿

かなり古い笏谷狛犬に見えます。拡大写真はこちら。

本殿の彫刻

境内