百沼比古神社

羽咋郡志賀町百浦ヘ48 (平成21年7月12日)

東経136度44分51.03秒、北緯37度01分52.93秒に鎮座。

【神社情報・ナッキーさんより】
この神社は、能登半島西部の志賀町百浦に鎮座しております。

百沼比古神社/ももぬまひこじんじゃ
御祭神 大鷦鷯命・百沼比古神
由緒
社伝に云う当社、百沼比古神社は延喜式内の官社なり。古昔、百沼比古神、桃の木の船を召されて当村の海辺に着き給う、よって村名を〔百が浦ももがうら〕と云う。〔桃が〕の〔が〕は〔の〕に通じ〔の〕は〔ぬ〕に通ず、百沼比古神、着き給う所なるを以って〔ももぬうら〕といいしを後世〔百が浦〕と転称、いま村名〔百浦 ももうら〕と云う。その創建は大神この地に着き給い、賊を平定、村民を愛し、農耕、漁獵の道を拓き遂にこの地に薨じ給う。

村民御神霊を崇め祀りて祠を興す、これ百沼比古神社の創始なり、時に崇神天皇御宇と伝う。嘉祥3年8月より数度、国内諸神と共に班幣に與る。朱雀天皇天慶3年正月授従五位。後円融天皇永徳元年2月授三位。明治42年同村の若宮社を合併する、9月11日の秋祭りは〔火焚きまつり ほだこまつり〕として有名。

この地方に於ける神幸祭の〔お火濯ぎ おひすぎ〕は当神社の〔火焚まつり〕がその起源である。
石川県神社庁公式サイトより。

神社入り口

参道の出雲構え狛犬

拝殿

本殿覆屋

手水舎