三蔵神社

結城市田間 (平成22年9月13日)

東経139度50分17.18秒、北緯36度15分21.35秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
結城野田線(17号線)を野田方面に向かい、右に少し入った田間地区にあります。狛犬は居ませんでした。説明板によると、ここは中世武士の館跡だそうです。末社の隣に元文五年の庚申塔がありました。

この三蔵神社は田間地区の権現にあり中軸線で東西1158米、南北1688米で南北に長い北の高地部分に三蔵神社。西側の低い部分には池があり神社に向かい長い参道がある。
周囲を堀や土塁をめぐらした中世武士の館跡である。
近くを南北に鎌倉街道がはしり周辺は開墾された畠地とヤト田(帯状水田)がある。
中世の武士は、農村の中に居住し下人・所従といった直属の労働力を使役して、開墾や直営地の耕作を行い、同時に一般農民を支配して、年貢(米納)公事(雑年産物や労働力)を徴収していた。
これらの武士を在地領主といい、この館跡をも在地領主の居館と推定する。この館跡は結城市の貴重な遺跡である。居住した武士は不明であり今後土塁、池、月山、建物など調査検討が必要である。
境内説明板より。原文はこちら。

要するに、館跡の説明のみで、神社の由緒は解りません。

参道入り口

参道

拝殿

本殿

石祠

石仏

御神木