川妻一色(かわつまいっしき)神社

猿島郡五霞町川妻56-1 (令和6年1月3日)

東経139度43分35.58秒、北緯36度07分33.35秒に鎮座。

この神社は、東武日光線・南栗橋駅の北東2km程の辺り、川妻の街中に鎮座しております。

御祭神 

由緒
元和5年(1619)武蔵国幸手城主一色宮内大輔直朝公は、関宿城主、小笠原左衛門信政公に攻め落とされてしまいました。
そこで、幸手城主の二男、一色次郎輝季公は、この怨みを晴らそうと、名を庄右衛門法吉と改め、姿をかえて、ここ川妻村に、隠れ住み、チャンスが来るのを待っていたのでした。
翌元和6年(1620)に利根川が大氾濫をし、農産物が取れなくなり、村人は大変困ってしまいました。
輝季公はこれをみて、利根川を下る関宿藩の年貢米を満載にした御用船を奪い、川妻の村人を救ったと伝えられています。村人たちは大変感謝しましたが、関宿城主は大いに怒り、厳令を下して、輝季公を捕らえようとしました。
しかし、人並はずれて武術に優れていた輝季公は、なかなか捕まえられませんでした。その時、栗橋宿に住む萬屋五郎兵衛が関宿城主にうまく言いくるめられ、輝季公が遊びに来たことを通報し、丁度囲碁を打っていた時、輝季公は召し捕られ、麻縄でしばられてしまいました。
翌元和7年(1621)10月15日、輝季公は利根川の河原で処刑され、川に流されたが、川妻地先に流れ着き、いつまでも離れなかったそうです。
村人は、関宿城主の怒りを恐れながらも、輝季公を川妻村宿北地区の杉の木の根本に葬りました。そして杉の木をご神木として、木の根本に小さな社を建てて、この地の守り神として祀られたと伝えられています。
毎年、4月15日、11月15日には、麻を奉納し、五穀豊穣、家内安全を祈って、例祭を行なっています。
境内由緒書き より。

神社入口

入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

鳥居

境内

拝殿

左右の木鼻

拝殿内部

本殿覆屋

本殿


末社

石碑等

庚申社