護国神社

水戸市見川1-2-1(平成22年6月13日)

東経140度27分9.88秒、北緯36度22分14.06秒に鎮座。

 この神社は偕楽園の西側、常磐線の線路の反対側に鎮座しています。桜の名所として有名な神社ですが、この時期には入口から石段参道にかけて紫やピンクの紫陽花の花々が綺麗に咲き誇っています。
 狛犬が睨みをきかす入口に立つ一の明神鳥居を潜ると参道は石段となり、石段を上がりきると平坦な参道が北西に向かって一直線に伸びています。参道脇には「平和のねがい」碑や「大東亜戦争記念碑」がたてられ、二の鳥居を潜ると境内となります。参道左には境内社:桜ノ宮が祀られ、正面奥の鎮守の森を背景に厳かな拝殿、本殿が建立されています。又境内には「ペリリュー島守備部隊鎮魂碑」等もたっています。

 御祭神:63,494柱の茨城県出身の戦役者の英霊
 祭礼日:元旦祭・1月1日、元始祭・1月3日、創祀記念祭・2月9日、紀元祭・2月11日、春分祭・3月(春分の日)、春季例大祭・4月10日、夏越大祓式・6月30日、みたま祭・7月15日、終戦記念祭・8月15日、秋分祭・9月(秋分の日)、神嘗祭当日祭・10月17日、明治祭・11月3日、遷座記念祭・11月6日、秋季例大祭・11月10日、天長祭・12月23日、年越大祓祭・12月31日
 境内社:桜ノ宮
 由緒:徳川幕府政府体制から、近代国家体制へと大きく生まれ変わろうとする時代、幕末から明治維新にかけて国のために殉じた水戸藩関係の烈士等1千8百余柱の御霊を御祭神として、明治11年、水戸市常磐神社の境内地に、社名を「鎮霊社」として創祀された。
 明治10年の西南の役、日清戦争等による茨城県出身の戦役者の合祀がおこなわれ、広く全県下の戦没英霊の御霊を奉斎する神社となる。
 日露戦争、日支事変等の戦没御祭神は日を追うごとに急激に増加し、創建当時の御社殿では狭隘となっていた。
昭和14年4月、国の方針により各県下に英霊を奉斎する護国神社創建の事が決定し、これにより水戸桜山の現在地に建設が決定された。
 昭和16年11月、常磐神社境内の鎮霊社から「茨城県護国神社」と改称、盛大な遷座祭を斎行した。
終戦後の昭和22年8月鎮座地の地名を「桜山神社」と改称したが、日本の独立により、昭和29年10月「茨城県護国神社」と復称、現在にいたる。
 終戦直後から中絶されていた大東亜戦争戦没者の御霊の合祀を再開、現在そのほとんどの奉斎を完了、その数、実に63,494柱をかぞえる。
(「茨城県護国神社公式サイト」より)

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神社入り口に建つ一の明神鳥居
入口にいる招魂社系狛犬
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入口から石段参道にかけて咲く紫陽花
石段参道
参道の様子
「平和のねがい」碑 「大東亜戦争記念碑」
境内入口に立つ二の明神鳥居
参道の様子
境内社:桜ノ宮
「ペリリュー島守備部隊鎮魂碑」 「ペリリュー島鎮霊碑」
境内の様子
拝殿
本殿