近津神社

久慈郡大子町下野宮(平成18年7月8日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 神社は、国道118号線を北上して、下野宮信号を右折した下野宮地区にあります。下野宮小の裏手になります。狛犬さんは、居りませんでした。推定樹齢1300年の御神木、「鉾杉」は圧巻です。

 この神社はJR水郡線下野宮駅の北500mほどに鎮座しています。地名の由来にもなった神社で、社伝によれば、慶雲4年(707)に藤原富得の夢に神が現われ、白羽の矢を授け、「吾近津明神なり、八溝山の悪鬼を除去せしむるを得たり」と告げ、この夢を奏上し、創建、社殿造営されたと伝えられる古社です。江戸時代には近津三社(馬場都都古和氣神社八槻都々古別神社・近津神社)と総称された「都々古別三社」の「下野宮」にあたります。またかつては保内42カ村総社として、近津三所(近津三社)大明神と尊称され、上野宮の近津を上宮とし、町付の近津神社を中宮、下野宮の当社を下宮として、「近津三社」とも呼ばれ、三社参りと称して、上野宮・町付・下野宮の近津神社に大晦日の夜から元旦の早朝にかけて巡拝する風習があったそうです。
 御祭神は面足尊、惶根尊、級長津彦命と比較的知名度の低い神様達です。面足尊と惶根尊は日本書紀に記載されている神名で、古事記では於母陀流神と阿夜訶志古泥神となっています。この二神は神代七代の六代目の神で、面足尊(オモダルノミコト)とは、「不足の無い神、満ち足りた神」という意味になり、惶根尊(カシコネノミコト)は、「台地が完全に固まったことを表わす神」とされ、この二神で息子の伊邪那岐命(イザナギノミコト)と娘の伊邪那美命(イザナミノミコト)を産んだとされています。級長津彦命(シナガツヒコノミコト)は伊弉諾尊と伊弉冉尊の子神で、暴風等の災害を防ぐ風神です。古来より五穀豊穣を掌る神として崇められてきました。

神社入口 参道の様子
随神門。
綺麗な随神さんがいらっしゃいます。
           境内の様子
「鉾スギ」為らずとも、境内には古木が多く雰囲気の良い鎮守の杜です。右手の大杉は「都々母杉(つつもすぎ)」。康平年間(1058〜65)に源義家自らが手植えしたと伝えられている巨木です。
重厚な拝殿 拝殿の額「近津宮」
神明造りの本殿 境内社・左は天照皇大神宮、右は不明
境内社・稲荷神社 金精様
天然の石で、撫でると子宝に恵まれるという伝承が残っています。
境内の神池 末社
県指定・天然記念物第一号の推定樹齢1300年、樹高50m、根周囲12.5メートルの「鉾杉」
近津神社のご神木として、勧請の際植えられたものといわれ、名称の由来は、源義家が奥州平定に赴く際、自らの鉾をこの杉に立掛けて武運長久と戦勝を祈願したこところから、この呼名があると伝えられています。