久慈郡大子町内大野2138 (平成24年10月21日)
東経140度25分19.22秒、北緯36度46分56.59秒に鎮座。
この神社は、栃木県との境に近い内大野の山中にひっそりと鎮座しております。
御祭神 天神七代・地神五代(天合神)を祀る | |
天神七代 国之常立神 豊雲野神 宇比地邇神・須比智邇神 角材神・活材神 意富斗能地神・大斗乃弁 淤母陀流神・阿夜訶志古泥神 伊邪那岐神・伊邪那美神 |
地神五代 天照大御神 天乃忍穂耳神 邇々芸命 穂々出見命 鵜葺草葺不合命 |
十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)、十二社神社(じゅうにしゃじんじゃ)、十二神社(じゅうにじんじゃ)という名前の神社は日本全国に存在し、十二社(じゅうにそう)と称するものもある。
古くからの十二様と称する土着の山の神を祀ったものと、熊野神社の系列のものとがある。前者の信仰は射日儀礼を含む「十二講」の習俗を伴い、北関東・甲信越を中心にして東日本の山間部に分布する。後者は十二所権現社などと呼ばれる熊野三山の神(熊野権現)を勧請して祀ったものである。それらの中には明治の神仏分離によって祭神を「天神七代・地神五代」としている所もある。
ウィキペディア より
おそらく熊野権現だったので、こんな山中にお祀りしたのではないでしょうか。
当社はもと立野神社と呼び延久二年源義家が東夷降服の為の祈願所であったと伝えられ、其の後文明年間(1469〜1486)に佐竹義種により相州鎌倉金沢の郷より十二所神社を勧請し内外大野村の守護神として鎮斎され又元禄年間(1688〜1704)に至り源義公より正一位十二所大明神の神号を賜ったと伝えられております。
境内由緒書き より
参道入口と社号標 | |
参道途中と鳥居と社号標
境内
素朴かつユニークな江戸流れ。拡大写真こちら。 | |
(昭和55年(1980)10月吉日建立) |
拝殿
拝殿内部
本殿
屋根を支える鬼 | |
末社 | |