北茨城市大津町字宮平1532(平成18年9月16日)
この神社は国道6号線・仁井田信号から154号線、27号線で東に少し入った、岡倉天心ゆかりの地、大津町内の高台に鎮座しています。27号線脇に参道の入口があり、そこから延々と長い階段の参道歩きとなりますが、車で行かれる方は、分かりづらくはありますが、境内脇に駐車場が完備しています。
案内には「別称 : 六所明神・大宮大明神
御祭神名 : 天日方奇日方命(あめひかたくしひかたのみこと)・ 大己貴命・
事代主命・ 大物主命・ 媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)・
五十鈴依姫命(いすずよりひめのみこと)
由緒 : 当社は大津唐帰山に鎮座する。延喜式内常陸國二十八座の一社で、この地方の大社である。
社伝によれば日本武尊が東征のおり、大津の沖で逆浪に漂うこと数日、一夜神人、雲龍に乗って夢枕に立ち「吾ハ佐波波神也。今皇子ノ御船ヲ守護センガタメ来レリ、直チニ順風トナサン」と。果たしてその通りになったので幣を奉り、佐波波の山に崇祀したという。その後も逆風に遭い異国に流されながらも大神の助けにより無事帰国した例があり唐帰の宮と称した。
創建は不詳だが、「清和帝 貞観元年4月26日辛亥常陸多珂郡正六位上佐波波神進従五位下云々」とあり、齋衡3年(856)には他の神を合祀した。
社頭には松の巨木が多数あり、宮の松、唐蓋の松といわれ、船の往来の表となっていた。(抜粋)」とあります。
案内にもあるとおり、唐帰山の豊かな杜に包まれた、静かで落ち着いた神社で、参道も境内も社殿も全てが綺麗に整備され、人々の崇敬の篤さを窺い知ることが出来ます。また、拝殿の額「大宮大明神」の名は元禄年間に徳川光圀公が神徳を景仰して、神鏡一面を奉納し、「大宮大明神」と尊称を奉ったものです。
この神社の5年ごとの大祭「御船祭」は、いつ頃始まったのか明らかではないのですが、漁師町ならではの勇壮で賑やかなお祀りです。5月2日の宵祭りでは、夜間暗闇の中で、佐波波地祇神社の本殿より御輿に「御分霊写しの儀」が行われます。5月3日の本祭りでは、御輿は諏訪神社下で神船に移され、御輿を乗せた神船は、水主(歌子)の歌う御船歌や囃しにあわせて300人ほどの曳き手に曳かれ、約5時間かけて浜の津神社下に到着します。船底には山車のような車輪はなく、ソロバンと呼ばれる井桁状に組んだ約100丁の木枠を敷き、30人ほどの若者が船縁にとりつき左右に揺らしながら木枠の上を滑らすように曳いていきます。津神社下で下船した御輿は、潮垢離の神事を行った後、神社に環御します。かつて神船は、海上を渡御していましたが、その後海上部分が陸地となったため、現在のような陸上を船が動く形になったのだそうです。