八幡神社

北茨城市平潟町(平成18年9月16日)

 この神社は平潟漁港北側の鵜ノ子岬に鎮座しています。何故か私の持っている地図には南側の薬師如来堂傍に八幡神社の記載があり、初めはそちらに行ってしまいました。けれどそこには薬師堂があるのみ。「変だな?」と近くで雑談していたおじさん達に伺うと、何と八幡神社は対岸に見える断崖上の森の中…とのこと。行き方が難しいからとご丁寧に詳しく道順を教わって再度挑戦。後で考えると、確かに地元人でなければ行き着けないような道でした。結局は先に薬師堂に行って正解だったようです。
 さて八幡神社へは、道路に面した神社入口の鳥居を潜り、車がやっと一台通れるくらいの洞門を抜け、細い道の突き当たりを右に折れると境外社・八坂神社の鳥居が現れるので、そこに車を置きました。そこを左折、さらに奥の30段程度の階段を上りきると,八幡神社境内となります。樹齢何百年かとも思われる古木が鬱蒼と茂り、垂直の壁のような断崖に囲まれた境内の様子は,何とも厳かな雰囲気で、境内に残る芭蕉の句「このあたり目にみえるもの皆涼し」の時代から、少しも変わっていないように見受けられます。
 創建は不明ですが、案内には寛文9年(1669)に平潟町鎮守・八幡神社をこの地に遷座した、とありました。御祭神は誉田別命です。元の社殿は、天保6年(1835)に焼失してしまったため、現社殿は、嘉永6年(1853)に再建された桃山様式の寺社建築で、総けやき権現造りの優美さと荘厳さを兼ね備えたものです。
 ここ平潟港は江戸時代の初めまで、自然の入江をそのまま利用した単なる漁港でしかなかったのですが、寛永年間(1623〜43)より、仙台藩によって年貢米の中継港として利用され始め、仙台藩の陣屋が置かれ港湾設備の整備も充実しました。寛文10年(1670)には、幕府公認の東廻廻船の寄港地に指定され、御城米浦役人も置かれ、多くの廻船問屋が軒を並べる商港としての賑わいを見せ始めます。その後も行政的には棚倉藩領でしたが、北茨城地方、福島県勿来地方の幕府領や旗本領、及び私藩領の年貢米の積出港としての機能を有し、この地方随一の商業中心地として繁栄しました。けれど、明治30年に常磐線が開通すると、安全で確実な輸送ができる鉄道網にとってかわられ、急速にその需要を失い、現在は又、天然の良港としての機能を果たし、又、温泉、アンコウ鍋などで観光客を誘致しています。

海面からの高さ50mの断崖に
神社は鎮座しています。
道路に面した神社入口
境内への階段入口に建つ二の鳥居 境内への階段
権現造りの複雑な屋根の拝殿 流造りの本殿
昭和2年生まれのブロンズ狛犬。双方角付きです。
阿吽共に微妙な手の上げ方は何を意味しているのでしょう。
(昭和2年4月建立)
境内社二社 境内社・天満宮
境内より更に上る階段 境内より更に上の奥社?境内社?
境内社 水天宮、末社
本殿奥の崖 本殿奥の崖に祀られる大黒天
境内社 境内社
境内のご神木
本殿奥の崖に奉納された虎の彫刻
境外社・八坂神社入口 境外社・八坂神社社殿