高田神社

稲敷市高田 (平成24年10月20日)

東経140度20分53.89秒、北緯35度57分07.30秒に鎮座。

この神社は、稲敷市役所江戸崎庁舎の東2km程の辺り、自然林に囲まれた中にひっそりと鎮座しております。

高田神社(江戸崎町高田)
承平年中(931〜937)に、紀伊国熊野大社の分霊を勧請し、平将門の乱の平定を祈願するために創建され、13人の供僧も当地に来住し子孫が現在に至る。
寛治年中(1087〜1093)勅願所となり、東条庄第一の総鎮守として崇敬される。文治年中(1185〜1189)源頼朝が奥州平定の祈願をして東条庄500町歩を寄進する。延元三年(1338)北畠親房が神宮寺城に籠城の際、神主等が味方をする。慶長七年(1602)徳川家康から社領257石の御朱印地を寄進される。明治四年(1871)郷社となる。
祭神は伊邪奈岐命など八柱で、例祭は10月15日である。・・・・・・・
江戸崎町教育委員会

高田岡にある高田神社は、承平年間(931〜937)に、紀伊国(現在の和歌山県)の熊野大社の分霊を勧請し、平将門の乱の平定を祈願するために創建されたものと伝えられています。その時、13人の供僧もこの地に来住しています。祭神は伊邪奈岐命など8柱です。
南北朝の時代には、延元3年(1338)9月の北畠親房の神宮寺籠城の際、神官などが南朝方に味方し、神領が北朝方に没収されてしまいました。
享保18年(1733)に再建された社殿は、平成2年に焼失しましたが、平成9年に再建され現在に至っています。
約140mの参道の両側に立ち並ぶ杉の巨木は壮観です。その杉並木により光が遮られ昼でも薄暗い参道を抜けると、突然、荘厳な社殿が光のなかに現れます。厳粛な気分にさせられる瞬間です。
また、高田神社を含めたその周辺は、自然林と人工林が織りなす植生と、数種のアゲハ類が生息するその豊かな自然環境により、県の自然環境保全地域に指定されています。
稲敷市公式サイト より

参道入口

一の鳥居

参道

二の鳥居

境内

拝殿

本殿

奥宮


末社十八柱(祖霊・水天宮・厳島・大山祇・稲荷・諏訪・三峯・八坂・東照宮・熱田・香取・鹿島・浅間・愛宕・春日・出雲・八幡・天神)

石祠