大杉神社

稲敷市阿波(あば)958 (平成24年3月15日)

東経140度23分9.67秒、北緯35度56分56.41秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
国道125号線と地方道5号線がぶつかる幸田丁字路を北上すること約1.5Kmで、阿波局(郵便局)前に鎮座。

日本で唯一夢むすび大明神として知られ、更に「悪魔ばらえのあんばさま」と呼称された大杉神社は厄除、八方除、星除、病気平癒の神様として、今でも広範な地域から祈願に訪れるそうです。

御祭神 倭大物主櫛甕玉命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)・大己貴命・少彦名命

由緒
神護景雲元年(767年)、当時都が置かれた大和国(現・奈良県)旅立った勝道上人は、下野国二荒山をめざす途上にありましたが、大杉神社に着くとそこで病苦にあえぐ民衆を救うべく巨杉に祈念しました。すると巨杉の梢に三輪明神(奈良県三輪の大神神社)が飛び移り病魔を退散せしめたところから、やがて「あんばさま」は「大杉大明神」と呼称されるようになりました。この大杉神社を御守護申し上げるべく延暦二十四年(805)には境内の一角に安穏寺が開基され、以降明治になるまで大杉神社は安穏寺が別当を勤めました。
(以上 大杉神社縁起より一部抜粋) 公式サイトはこちら。

大杉神社略縁起
古く大杉神社の鎮座する地は「アンバ」と呼ばれ、後に安婆、阿波、安波、安場、安葉などと標記されるようになりました。このアンバ後は、銚子と波崎を湾口とし、現在の霞ヶ浦(西浦、北浦)、利根川、印旛沼、手賀沼を内包して余りある広大な内海に、西から東に向けて突出した半島上に在りました。
この半島は『常陸風土記』に安婆島(あんばじま)と記載される半島で、そのほぼ先端にあたる地地に一本の巨杉がそびえ立っておりました。風土記がこの辺りの地名を海苔干しの盛んなところであったことから「のりはま郷」と名付けたことを伝えるように、この近隣では漁撈を中心とした生活を営んでいたことが知られ、この住人たちを守護していたのが大杉神社の当初の形でありアンパの地に鎮座する神さまであったことから「あんばさま」と呼ばれるようになりました。
また内海のいたる所から見える巨杉は、航海の目印ともなり、周辺住民の守護神の鎮まります神籬でもありました。こうした原初の生活守護、海河守護信仰に加え、神護景雲元年(767)大和国の大神神社(三輪明神)から下野国の日光山(二荒山神社)を開山に向かう途上の勝道上人は、この巨杉を神籬として三輪の神々を招臨し人々を数々の奇跡で救済するに至り厄難守護の信仰へと発展し、「悪魔ばらえのあんばさま」と呼称されるようになりました。
また延暦十五年(796)僧快賢は別当寺龍華山慈尊院安隠寺を開基、ここに神仏習合による祭祀が始まりました。
文治年間(1185〜1190)になると源義経の眷属であり、武蔵坊弁慶とともに活躍した常陸坊海存が社僧として大杉大神さまに仕え、多くの奇跡を示しました。
文治五年九月二十七日(1189)、海存坊はあんばの地から忽然と姿を消し、人々は海存坊が大神さまの御眷属であったことを知るにいたりました。巨体、紫髭、碧眼、鼻高であった海存坊を祀るため似姿を像に刻んだのが天狗信仰へと発展しました。これが現在のねがい天狗・かない天狗のおこりだといわれております。
また海存坊を御眷属としていかなる願い事をも叶えてくださった大神さまの尊い御神徳から、人々は当神社を日本唯一・夢むすび大明神と呼ぶようになりました。
さらに大神さまの尊い御神威により、江戸時代初頭、江戸崎不動院にあった天海は、東條の浦に船を浮かべ浦の東に鎮座する大杉大明神を勧請。みごとに雨を降らせるという修法を行い、奇跡を示しました。この後天海は徳川家康の宗教顧問として参謀役を務め、秀忠、家光の三代の将軍に信任を得て、当神社を江戸城の鬼門守護社と定めるとともに自らも別当安隠寺の住職となりました。天海は東叡山寛永寺を興し、大師号を得て慈眼大師となった僧ですが、こうした当神社と天海の縁をもって以後別当安隠寺は日光山輪王寺の直兼帯寺院となりました。
さらに家康江戸入府以降進められた河川改修は、それまで江戸前(東京湾)に注ぎ込んでいた利根川の流路を銚子を河口とするそれに変貌させ、霞ヶ浦周辺の守護神であった大杉神社は、利根川水系を守護する神社となりました。
殊に享保十年にはじまる「悪魔払え囃子」(後のあんば囃子・大杉囃子・佐原囃子・潮来囃子など)の流布にともない分配や信仰が多くの地域に拡がりをみせ、大杉神社に対する信仰(あんば信仰)は隆盛を極め、北は北海道から東北、裏日本は佐渡島、内陸は栃木、群馬にいたる広範な地域に及びました。また社殿等の整備等も急速に進められて行きました。慶応四年(1868)神仏判然令の布告にともない神社本来の祭祀に戻るとともに、一県に一院設置の新治県中教院が当神社に置かれることとなり、新治県内の神職たちの学問の場となりました。
こうした大神さまの尊い御神徳と御由緒をもちまして昭和五十七年、当神社は神社本庁により別表に掲げる神社(別表神社)とされ、いまなお多くの方々の信仰をあつめております。
境内由緒書き より 境内案内図はこちら。

天狗が目立つ神社入口。アンバ様は天狗の姿になって現れ、疱瘡を退治したそうです。
この左手に、麒麟門と呼ばれる立派な門がありますが、そこは通行止めとなっています。

日本唯一夢むすび大明神 あんばさま総本宮 大杉神社

「ねがい天狗」の鼻高天狗 「かない天狗」の烏天狗
もなかの袋 かない天狗を模した厄除けもなか

参道


国道125号線に面した麒麟門。平成22年3月に完成してるのだか、立入禁止の麒麟門。開かずの門ですね。拡大写真はこちら。

麒麟門
大杉神社1240年を記念し、かつて麒麟門と呼ばれていた絢爛豪華な楼門。扁額は、人々の夢を顕現した夢むすび大明神に由来し「夢顕」の文字を掲げています。

角と宝珠を持つ、堂々たる江戸狛犬。拡大写真はこちら。
(石工 江戸京橋、藤兵衛 万延元年(1860)庚申4月建立)

境内より見る麒麟門。拡大写真はこちら。

麒麟門右側

麒麟門彫刻

再建された麒麟門


境内入口の新しい狛犬

平成生まれの岡崎型狛犬
(平成12年(2000)12月吉日建立)

社殿。社殿は本殿、幣殿、拝殿を繋げた複合社殿。県内最大の木造社殿で文化13年(1816)に完成。随所に彩色された彫刻が施された豪奢な社殿で、あんば日光の異名を持ちます。

神額

向拝

左右の木鼻
海老虹梁
左右の脇障子
燈篭 燈篭の獅子

本殿左側

本殿右側

鳥の彫刻

鬼門

張孝(ちょうこう)・張禮(ちょうれい)

王祥(おうしょう)

大舜(たいしゅん)

郭巨(かくきょ)

陸績(りくせ)

孟宗(もうそう)

せんし

ゆきんろう

蔡順(さいじゅん)

唐婦人(とうのふじん)

山谷(さんこく)

老莱子(ろうらいし)

漢文帝(かんのぶんてい)

びんしげん

曾參(そうしん)

仲由(ちゅうゆう)

王ほう

董永(とうえい)

丁蘭(ていらん)

田眞(でんしん)・田廣(でんこう)・田慶(でんけい)

揚香(ようきょう)

黄香(こうきょう)

朱壽昌(しゅじゅしょう)

呉猛(ごもう)

姜詩(きょうし)

中国故事。説明と拡大写真はこちら。

その他の彫刻


左より大国神社・五十瀬神社・(妙見宮、白山神社、日吉山王宮)・四柱神社・天満宮

大国神社 五十瀬神社 妙見宮、白山神社、日吉山王宮
四柱神社 天満宮
大国天 毘沙門天 弁財天
末社 末社の狛犬

神輿殿

鐘楼

神楽殿

四方四隅八方守護 皇城鬼門鎮護之社

厄除桃

御神木 三郎杉

かわらけ割りの説明

御神水

斎館

手水鉢

今も続く修復作業

別当安穏寺