大甕倭文神社

日立市大みか町六(平成15年3月22日)

神社入口、明神鳥居

二の靖国鳥居

社殿

圧倒的な存在感で迫る江戸くずし狛犬。阿は玉取り、吽は子取り

昔、常陸国久自郡の大甕山に、甕星香香背男という豪族が住んでいました。強力無双で荒々しい人でしたが、人情が厚く、外敵を滅ぼしたので、住民からは慕われ、部下も大勢いたといいます。
 朝廷は、日本全土を治めようと、神々を各地に遣わしました。甕星香香背男を攻めるためには最初、経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかつちのかみ)が遣わされましたが、甕星香香背男は強く、二神は散々な目にあって敗れてしまいました。これによって、甕星香香背男は増長し、巨大な岩となり、天をも突く勢いとなりました。
 そこで朝廷は、武神として名高い建葉槌神(たけはつちのかみ)に、甕星香香背男の討伐を命じました。建葉槌神は堅固に武装し、黄金の靴を履いて攻め上がりました。甕星香香背男の軍をけ散らした建葉槌神は、岩と化した甕星香香背男の腹を思い切りけり上げました。さしもの甕星香香背男も、この威力の前に砕け散ってしまいました。この石の飛び散った先が、石神(東海村)、石塚(常北町)、石井(笠間市)の三か所と言われています。
 鹿島・香取の二神に代わって悪神誅伐の大任を受けた武葉槌命は、見事悪神を誅伐し、常陸地方を平定しました。命は後にこの大甕の地に止まり、製塩や織物など産業開発の道を計られました。
 以上は「日本書紀」に登場する話である。この話からも察するに大甕神社の創始はかなり古いと思われる。 大甕神社には甕星香香背男の魂を封じ込めたという「宿魂石」や、それを見張っている「神篭石」があり。また建葉槌神は織物の神様としても知られることから、神篭石に織り布を打ち付けると、布が丈夫になるという言い伝えも残っている。