西金砂神社

常陸太田市上宮河内 (平成15年3月22日)

 この神社名をご記憶の方も多い事でしょう。この日私達は、72年毎に執り行われる金砂神社磯出大祭礼に行って参りました。
 神社の由緒書きによると、創建は平安時代の大同元年(806)、天台沙門宝珠上人が近江の国比叡山日吉権現を勘請したものす。創建当時は比叡山にならって山中に七堂伽藍中堂建て、千手観音を諸沢村堂平に、鐘楼、経堂を赤土村大平山に建立、十六羅漢を中染村羅漢沢に祭りました。
 その後、幾多の曲折を経て、江戸時代寛文6年(1665)、徳川幕府が「諸宗寺院法度」「諸社禰宜神主法度」を定め、寺院神社の法規を明らかにしたとき、水戸藩でも寺院神社に対する強力な統制を執行し、西金砂山も定源寺を始めとして多数の古仏像を廃除して、僧侶は本山に移されました。この時を以って、寺社を祭って僧侶が祭りを司っていた神仏混淆は終わりを告げ、元禄13年(1700年)、神社に改め、西金砂神社となりました。祭神は大己貴命を主神とし、配祀神として少彦名命が祭られています。
 境内に聳える大イチョウと大サワラは県指定天然記念物となっています。
 人、人、人で社殿の写真は有りませんが、お祭の様子などご覧下さい。

準備中の神社入口

拝殿下の木鼻

何故かネズミ顔の、阿は玉取り、吽は子取りの狛犬

本殿の見事な彫刻

吠えているというより泣いている、と言った感じの江戸狛犬

さて、ここからがいよいよお祭り風景です。

只今準備中。
神社内では御神輿が
お祓いを受けています。

無事お祓いも終わり、いよいよ水木浜まで7日間の旅の始まりです。

天下野にて

やっと第一の難関、山越えが終わり、御神輿も無事到着。

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一本歯の高下駄を履く天狗さんは
山越えが出来なくて里で待っていました。

ここからは大神輿も合流して、全員一丸となり日立市の水木浜まで行進です。
何故こんなに大変なお祭をするかというと、金砂山の神は水木浜から上がってきたと伝えられているためです。その為水木浜で、神事が行われるのです。