常陸大宮市野口 (平成22年6月12日)
東経140度19分50.5秒、北緯36度33分4.32秒に鎮座。
この神社は、常陸大宮市南部、東茨城郡に近い野口の集落中央に鎮座しております。那珂川と平行して走る123号線に一の鳥居があり、参道は300m程もあります。嘗ては広い社域を持つ神社であったようです。
佐伯神社由緒
御祭神 天忍日命・道臣命・健日命
御祭神と由来
往古稲背入彦命を祀ると伝えられている。その後今の天忍日命(武術の神)道臣命(農業の神)健日命(学問の神)となり、佐伯三社大明神の御神号を賜り産業開拓の守護神として遠近の尊信極めて厚い大社である。
御創立と御神位
大同元年(806)讃岐の僧玄海によると伝えられている。この地に来て佐伯氏の祖神を祀ったのであろう。佐伯氏の末裔は世々讃岐に住んでいる。空海はその族である。
延元年間(1336年頃)常陸大掾氏十四代城主平高幹がこの社に朝敵降伏を祈り常陸国朝妻郷の地拾五町壱反歩を寄せられる。
天正年間佐竹氏十九代城主義重が城北の鎮守として崇敬し野口、大畑、野口平の地を寄し同十一年(1583)三美、門井、那賀、下小瀬、宝性寺、国長、泥部の地壱千四百石を社領に充てられる。
慶長十八年(1613)将軍徳川秀忠が八十五石を御朱印地として社領に寄せられる。
元禄四年(1691)水戸藩主徳川光圀が神鏡一面を奉納される。
寛政三年(1791)三月に現在の本殿が造営成就、四月に遷宮をする。
明治五年(1872)郷社に列せられる。
昭和二十七年(1946)九月宗教法人法に基づき宗教法人「佐伯神社」となる。
境内由緒書より。
昭和27年は1952年、1946年は昭和21年。宗教法人法は昭和26年4月施行なので、佐伯神社となったのは昭和26年かと思われます。
第二次世界大戦後は、日本に進駐していたGHQによって1945年10 月4日、治安維持法などと共に「宗教団体法」の廃止が命じられ、日本政府は同年12月28日、勅令をもってこれを廃止し、それまでの認可性を届出性に変え、宗教法人の設立、規則変更、解散などを自由に行なえるようにした「宗教法人令」を即日施行した。この「宗教法人令」は当初から平和条約の発効により廃止されるものとされており、それに代わるものとして1951年4月3日「宗教法人法」が公布され、即日施行された。
ウィキペディアより。
123号線に立つ一の鳥居
二の鳥居
境内
拝殿
本殿。彫刻の拡大写真はこちら。
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