四郎介稲荷(しろうすけいなり)神社

ひたちなか市湊中央2-2-25 (令和5年6月25日)

東経140度35分39.35秒、北緯36度20分21.85秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
ひたちなか海浜鉄道湊線の那珂湊駅前から6号線を南東に直線距離で450m程進むと、道路右側に北側の鳥居が見えます。一の鳥居なら更に東に向かう必要あり。

ゼンリンの地図ではこの神社は境内社の足尾神社なのだが、来てみたら社号標は四郎介稲荷神社だった。しかし拝殿の神額は京都の伏見稲荷より勧請した宇賀魂命に纏わる宇賀御魂神社であった。拝殿の彫刻は懸魚の劣化と比較すると破損も少なく綺麗に残されてのには感心させられる。稲荷では石製の狐はよく見掛けるが、木の彫刻の狐は珍しい。彫刻は軒札に彫工 後藤梅甫徳清 明治九年丙子正月吉辰と書かれているそうだ。千葉県では後藤派は有名だが、後藤派門人リストには記載されてない彫師だった。明治九年(1876)が本当なら、後藤派初期の影響を受けた彫師なのかな?ひたちなか市の説明板では日本橋で活躍してた彫刻師の門人としているで、門人の更に門人なのかな?この辺りでは一番大きな稲荷らしく、社務所に宮司さんが居れば御朱印貰えるそうです。

御祭神 宇賀魂命・那珂湊の四郎介狐

由緒
創建文禄3年(1594)は飯塚四郎介の氏神として祀られる。承応2年(1657)に京都の伏見稲荷より宇賀魂命を勧請。祭神の使いは那珂に伝わる民話「四匹の狐」の四男といわれ、海を守護する役目を担って那珂湊にやってきた。社殿造営明治9年。
(茨城見聞録より抜粋)

東側一の鳥居と社号標。昭和二十二年に大火で破損したので昭和二十四年建立した一の鳥居。

大正四年建立の二の鳥居

昭和十二年建立の三の鳥居

四、五、六の鳥居

参道

この辺りに多い銅製と思われる銅灯篭

手水舎と手水石(明治二十年丁亥六月 石工師 大内利兵衛)大内石材店は今でも水戸市浜田町で営業してます。

神社誌碑。元禄十六年にひたちなか市館山の浄光寺の住職の所望により御木像を納む、今も現存す。などと書かれている。

延享五年(1748)丙辰歳四月建之狐。辰は正解だけれど丙は変ですね。

漁業関係者が奉納

貫が折れてしまい笠木一本鳥居になってしまった北側の鳥居と社号標

拝殿。現在の社殿は明治9年11月8日造営のもの。昭和22年の大火で生き残ったのかな?

昭和三十三年十一月奉の天水桶

向拝.と神額

向拝の彫刻

狛犬

鯉。海に近いが何故か鯉の彫り物。

左海老虹梁

右海老虹梁

本殿

拝殿と本殿


御神木。御神木の前に足尾神社を配祠している。

足尾神社

末社

歌碑 大正五年の大典記念碑

御神木