手子后神社

東茨城郡城里町下圷 (平成22年6月12日)

東経140度23分03.40秒、北緯36度29分38.80秒に鎮座。

この神社は、城里町役場の北2km程の辺り、那珂川の西側で長い参道を持つ神社です。

手子后(てごさき)神社について
御祭神 埴安姫命(はにやすひめのみこと)(別名埴山姫命)
創建及び沿革
平城天皇時代大同二年(807)己丑二月十日創建。抑当社は人皇四十八代称徳天皇の勅を奉じて神護景雲二年六月二十一日始めて祭る処にして、五十代桓武天皇の朝には坂上田村麿将軍東夷征討の砌戦勝祈願ありて軍扇及冑、鏑矢の奉納あり。五十六代清和天皇の貞観十七年には、従五位下を授けられし等由緒ある古社なり。元禄九年正月水戸藩主源義公は、従来「手子木崎神社」と称していた社名を現在の「手子后神社」と改称した。
御祭神埴安姫命は土を司る神として、土壌を生命とする農民の五穀豊穣の守護神として尊崇が篤い。それ故に土を瓦として焼く事は土壌の生命を断つことで、神の怒りを買うと言われ圷では瓦を焼くことは勿論、屋根にのせる家がなかった。
昔この神社の屋根に土瓦をのせた事があったが一晩のうちにくずれ落ちてしまった事があったという古い伝えもある。時代と供に圷でも藁屋根が少なくなった・・・・・・・
境内由緒書より。原文はこちら。

参道入口

参道

参道は一般道によって断ち切られています。参道は120m程。

境内

拝殿

中門

本殿


末社