鹿島神社

東茨城郡城里町上古内 (平成22年6月12日)

東経140度19分47.63秒、北緯36度27分33.13秒に鎮座。

この神社は、城里町役場の西.5km程の辺り、お茶畑の中に、今年の三月に造営した真新しい社殿をもって鎮座しております。

御鎮座壱千弐百年御社殿造営記念碑
御創建 大同元年
御祭神 武甕槌神(たけみかづちのかみ)・建御名方神(たけみなかたのかみ)
由緒
天地悠久神代の昔、武甕槌神が天照大御神の命令を受け、葦原の中つ国(地上)に天下り出雲の国譲りに続き、東国治定のため降臨の地を当神社裏の山頂、眺望豊かな「鹿島土屋」と称する。
武甕槌神が国中を廻り治めゆく中で、最も交渉に困難した信濃国諏訪の建御名方神との交渉成立後は同神を従神として国土統一の大業を成し遂げ、現在の「鹿島」を吉処と定め御鎮座になる。
祭りを司る神、天児屋根命(あめのこやねのみこと)が金鷲に駕って古内山に現れ、村人たちに武甕槌神降臨の地なり、社を建て従神の建御名方神・建葉槌神(たけはづちのかみ)の二神を配して祀るべしと託宣する。古の地名を鹿島の神に因んで「那賀郡鹿島郷古内村」と謂う。
鹿島神宮の二十年毎の社殿の建替え用材五万余枝を古内山より採る。(三代実録貞観八年正月二十八日の條・倭妙抄より)
茲に御鎮座壱千弐百年の佳年に当たり、武甕槌神の国土統一の御事績と神社の御神縁を刻して、広く後世に顕彰するものなり。・・・・・
境内由緒書より。原文はこちら。

51号線より見る参道入口と社号標

右手は由緒、左手はこの地の人鯉渕要人の解説。
鯉渕要人(こいぶちかなめ)
鯉渕要人、諱は珍陣。文化七年(1810)正月七日、上古内村(旧常北町上古内)諏訪神社祠官の家に生まれ、長じて諏訪神社祠官の職を継承した。生来学問を好み、尊皇攘夷の信念強く、また生まれつき体力に恵まれ剣技は当時地方に流行の無念流を学びその強さは抜群であった。・・・後井伊大老暗殺事件に参加、重傷を負い自尽して果てたと云う。
城里町教育委員会。全文はこちら。

神社全景

参道と拝殿正面

拝殿

本殿


末社