青山神社

東茨城郡城里町上青山 (平成22年6月12日)

東経140度21分40.9秒、北緯36度28分21秒に鎮座。

この神社は、城里町役場の西2km程の辺り、五ヘクタールもの豊かな杜に囲まれ静かに鎮座しております。延喜式神名帳に常陸國那賀郡、青山神社と記載されている、式内社であります。又、「茨城の自然百選」にも選ばれているこの杜は、今も氏子の方々によってしっかりと守られているようです。その境内で、森林浴も兼ね、神や自然とともに、一時を過ごすのも良いかと思われます。

御祭神。五十猛命(いそたけるのみこと)を祭る。
由緒沿革
五十猛命は、素盞嗚尊(すさのをのみこと)の御子でまたの名を大屋彦命といい、御母は、大夜之神である。五十猛命は、父君に従って新羅の国(韓国)に渡り、杉、桧、樟等の八十木種を播種された後、その樹種を持ち帰り、築紫(九州)の島より、広く大八州の国々に播種された。山林はうっそうと茂り、貴重な用材となった。爾来、五十猛命を有功神と申して、森林育成保護の神として祭ってきた。青山という社名も地名も、御神徳より出たものと伝えられている。
青山神社については、宝亀三年九月二十九日(光仁天皇、皇紀1432年、西紀772年)御遷宮説と御創建説とがある。貞観二年、従五位下、仁和二年、従五位上、位田十二町を授かった。醍醐天皇、延喜中、延喜式内小社に列し、常陸二十八社の一座となった。霊元天皇、延宝四年十月、社殿、神庫炎上し、重宝古記一切を焼失し、由緒不明となる。
中世、誤りて、若宮八幡と称し、又鹿島明神とも申された。元禄九年十一月二日、水戸藩主光圀公は当社の事蹟をただして往古に復し、青山神社と改められた。尚、水戸藩主は、青山神社に、米一石八斗三合を供せられたが、徳川斉昭公は、更に五石七斗五升五合に加増された。
明治四十五年三月二十八日、村社に列各。大正元年十一月二十八日、供進指定(第一九四号)。昭和五年九月三日、宗教法人設立。
境内由緒書より。全文はこちら。

参道入口と一の鳥居。境内迄は300m程。

参道

参道と二の鳥居

拝殿

本殿


末社