上羽黒神社

筑西市岡芹968(平成20年9月7日)

東経139度58分38.61秒、北緯36度18分55.14秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、国道50号線を水戸方面に向かい、泉町信号を左折して進み、下館中の手前、左側です。狛犬は居ませんでした。拝殿、本殿が県指定の文化財です。所有の絵馬も文化財に指定されています。

下館の天門を守る神社
上羽黒神社
七羽黒神社の一つで水谷勝氏が文明十三年(1481)出羽国羽黒大権現を勧請し、下館の最も重要な天門、城の搦手の岡芹村に建立した。
勝氏は、古式により、下館城を守る為に、鬼門に当たる稲野辺村、風門の下岡崎村、病門の外塚村、天門の岡芹村、中宮の方位、城の南に羽黒神社を建立、三十余郷の安寧の守護神とした。上羽黒神社の本殿、拝殿はよく創建時の状態を維持。平成十四年、茨城県文化財(建造物)に指定された。
当時の記憶によれば、上羽黒大権現、別当、天台宗、日耀山正福寺、御朱印、十石、岡芹、水谷伊勢守勝隆、元和四年戊午年建立、水谷家之鎮守、祭礼毎年十月朔日。・・・・
境内由緒書より。全文はこちら。

天門(てんもん) 天門・鬼門は古代中国の神話にルーツがあるといわれています。 それによると禹王が豎亥という数理の神に大地の測量をさせたところ、大地は二億三万三五〇〇里七五歩の正方形であるということになり、その大地の四つの隅に鬼門、入門、神(天)門、地門という門があり、その門の外が大地の果てであるということになっており、鬼門を出て行った者で帰ってきた者は一人もいないと恐れられていたところから、鬼門伝説が始まったのではないかといわれています。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より

風門とか病門など微妙に異なります。勝氏は、古式により・・・・とありますが「古式」とは一体何でしょうか。

神社入り口と社号標

拝殿とその内部

本殿

天満宮

文化財の説明も良いのでが、せめて写真でも見せて欲しいと思います。