養父神社

養父市養父市場840(平成20年8月30日)

東経134度48分22.87秒、北緯35度23分5.21秒に鎮座。

 この神社は養父駅の北西2.2kmほどの山陰線線路際に鎮座しています。
 境内西側にも駐車場が完備していますが、道路際の石段を上がっていくと、右側数段の石垣上に如何にも清々しい景色が現れます。景色を堪能しながら進むと手水舎があり、その奥に鳥居が建っており、ここから参道は右に90度曲がります。十数段の石段を上がると神門。
 神門をくぐると境内で、参道脇には奉納鳥居が建ち並んでいます。正面に拝殿があり、拝殿の後方、垣の中に立派な桧皮葺入母屋造の本殿があります。拝殿の額には「山野口大明神 養父大明神」の名が記されています。
 境内左手には境内社が三社、本殿右側後方にも境内社への参道が続き、拝殿の額に記された山野口神社等三社が祀られていますが、それぞれ猫の宮(迦遅屋神社)、鯉の宮(厳島神社)、狼の宮(山野口神社)という動物名の付いた別称があるのが面白いですね。
 又、参道途中に狛犬が一対、狛狼が一対、山野口神社にも一対いますが、狛狼と山野口神社の狛犬は個性的で、とても面白い物でした。
 よく手入れされた境内、鎮守の杜の佇まいも素晴らしく、「次回は絶対秋に訪れたい神社だね。」と二人で話し合っています。今回の旅の中でこの社も記憶に残る神社となりました。

 御祭神:倉稲魂命(米麦養蚕牛馬の神様 )、少彦名命(薬草、治病の神様)、大巳貴命(大国主命)(国土開発統治の神様)、谿羽道主命(但馬道主命)(国民生活安定の神様)、船帆足尼命(地方政治の神様)
 祭礼日:お走り祭り・4月15・16日
 境内社:迦遅屋神社、厳島神社、山野口神社、御霊神社、五社神社、琴平神社
 由緒:崇神天皇30年(西暦前66)に創建されたと伝えられる古社です。仁明天皇承和12年(845)に無位養父神を従五位下に叙し、清和天皇貞観11年(869)従五位上養父神を正五位下に叙され、同16年(874)正五位上に加うとあります。 醍醐天皇の時代延喜式が定められるに当り、名神大社として登載されています。
 その後、明治6年郷社、12年県社に昇格しました。
 社殿については御霊社は応永30年(1423)に建てられたものです。本社並びに山野口神社は元禄9年(1609)の建立です。社務所は元禄年中の建立と伝えられています。
 但馬五社の中の一社で、古くから「養父の明神さん」と呼ばれ、農業の神として地元の人に親しまれてきました。また、農耕に必要な牛の売買が養父神社の管理下にあったことから、牛の神様の信仰もあります。
 又、出石神社・粟賀神社と並び、但馬三ノ宮としても知られています。
 毎年4月中旬に行われる伝統の祭り「お走り祭り」は 但馬三大祭りの一つといわれています。愛称でお走りさんといい、このお祭りが但馬に春を告げるといわれ、養父神社を発した約150kgもある神輿が集落を練り歩きながら、20kmも離れた斉神社にお参りします。 「ハットー、ヨコザルカ」の掛け声をかけながら巡り、首まで浸かりながら大屋川を渡る「川渡御」は勇壮果敢といわれています。

参道入口 石段の参道
参道脇の様子
手水舎
ここから参道は右に90度曲がり
上がっていきます。
明神鳥居
神門
入口側からと境内側から
境内の様子
参道手前にいる明治32年生まれの出雲丹後狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治32年(1899)4月建立)
参道奥にいる明治21年生まれの陶器製狛狼
狼だそうですが、もうこの頃には余り狼は見られなくなっていたのでしょうか? 狼とはほど遠い何とも愛嬌のある顔つきで、お互いを見合っています。阿吽の位置が反対で、阿は後ろ足先や尾の付け根が欠け、補修されています。個性的で可愛くて、私は大ファンになりました。
狛狼の拡大写真はこちらで
(明治21年(1888)9月建立)
拝殿
拝殿に架かる額
「山野口大明神 養父大明神」
拝殿内の様子
桧皮葺入母屋造の本殿
本殿正面と斜め後方から
本殿屋根上から三方に睨みをきかす?鬼達

境内社はこちら