日枝神社

養父市八鹿町九鹿(平成20年8月30日)

東経134度45分26.38秒、北緯35度24分20.59秒に鎮座。

 この神社は八鹿小学校の西北西約900mに鎮座しています。私の持っている地図には「八幡宮」と記載されていますが、その他の地図には「日枝神社」と載っており、道路にある県指定文化財の「九鹿ざんざか踊り」の案内も「日枝神社」となっているので、「日枝神社」と記載しました。
 入口には「日枝神社」と「八幡宮」の社号標が建ち、人家脇を通る参道の向こうに大きな杜があります。参道は石段となり右に左に何回も折れながら、境内へと上がっていきます。境内正面には大小三棟の覆い屋が建ち、それぞれに社殿が建立されています。その他小さな境内社も二社祀られていました。
 この社の鎮座地は、昔、九鹿城があった場所です。九鹿城は、南北朝時代に伊達貞綱が築城したとされ、小佐周辺の地頭職を奪うべく、建武5年(1338)に小佐に侵入した貞綱は九鹿の丘陵地の突端部に城を築いたのがはじまりであるとされています。小佐城の立石五郎との激闘の末、小佐城を陥落したようです。

 この社に案内は無く、御祭神は大山咋神、誉田別命等と思われますが、勧請年月・縁起・沿革等は全て不明です。
 10月第3日曜日に行われる祭礼では県指定文化財の「九鹿ざんざか踊り」が奉納されていますが、神功皇后の三韓征伐の凱旋を祝って踊ったのが始まりと伝えられています。踊りの動作、歌詞、服装などに室町時代の色が濃く、当時の修験者らが疫病退散、五穀豊穣を祈願して、奉納したのが起源と推測されています。かみしも姿の唄い手の踊り唄と、「サンザカザンザカ ザンザカザットゥー」の掛け声に合わせ、紺の筒袖と股引姿の踊り手が踊ります。小中学生が角兵衛獅子の所作に似た子ども踊りで前座をつとめ、青年を中心とした8人が大人踊りを踊り、豆しぼりの手拭いで向こう鉢巻、腰に太鼓、手に木ばちなど古式にのっとたいでたちで、荘重さの中にも力強く、気迫に満ちた踊りだそうです。(「但馬の百科事典」より)

神社入口と左右に建つ社号標
左「日枝神社」、右「八幡宮」
  
人家脇を通る参道の様子 参道と鎮守の杜
参道途中の明神鳥居 明神鳥居に架かる社額
山王宮」「八幡宮」
境内まで九十九折りの石段が続きます。
境内の様子
社殿前、建立年代不明の出雲丹後狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
社殿覆い屋
本殿
向拝彫刻・中央は三猿
向拝彫刻・左は虎 向拝彫刻・右は狛犬
境内社 境内社
境内社:八幡宮 境内社