久流比(くるひ)神社

豊岡市城崎町来日字ロ587-2(平成20年8月29日)

東経134度47分57.9秒、北緯35度36分7.38秒に鎮座。

 この神社は山陰本線・城崎温泉駅から南西に約2.6km、来日岳(くるひだけ・標高556.7m)の南東麓に鎮座しています。入口には「式内久流比神社」という立派な社号標が建ち、鳥居奥にはご神木のタモの樹が雄大に聳えています。石段の参道を上がると正面に神楽殿が建ち、左に又短い石段。その上が境内となり、大小二対の出雲丹後狛犬が迎えてくれます。入母屋造の拝殿の後ろには、鞘堂に保護されて本殿が建立されているようですが、完全に覆われ見えませんでした。

 御祭神:闇御津羽神
 境内社:宮代大明神
 由緒:創祀年代は不詳ですが、式内社・久流比神社に比定されている古社です。
 もとは来日岳に鎮座していましたが、後、麓(宮代谷)に移されました。慶長11年(1606)宮代の裏山が崩壊したため、現在地に遷座されました。
 現在の御祭神は闇御津羽神となっていますが、この社の鎮座する来日という地名は、「日本地名大辞典」によれば「式内社久流比神社の祭神・来日足尼命にちなむ」と書かれており、伝説によれば「狂った土蜘蛛が来る日の岳にこもり、来日足尼命はこの土蜘蛛を征伐した神」といわれているそうで、あくまでも推測ですが、明治期に「来日足尼命」というマイナーな神様から「古事記」に登場する知名度の高い神様に差し替えられたのかもしれません。
 因みに闇御津羽神は伊邪那岐命が、愛妻伊邪那美命の死の原因となった迦具土神の頚を斬ったときに、剣の柄に集まった血が手の指の股から溢れ出てできた二神の内の一神です。神名の意味は、闇は谷あいの意味で、御津羽は「水つ早」と考えられ、「早」は早いことを意味するのはもちろんですが、始め、端、初期といった意味も持っています。そこで「水つ早」は水の出始めを表す名と考えられ、闇御津羽神は、谷の出始めの水を司る神と言う意味でしょうか。(「神々の宴」より)

社号標「式内久流比神社」 神社入口
一の鳥居 参道脇のご神木・タモの樹
石段の参道 神楽殿
境内の様子
境内入口には狛犬が二対仲良く並んでいます。
建立年代不明の出雲丹後狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
手前の小さい出雲丹後狛犬
建立年代不明ですが、苔が付き、又、表面の摩耗により彫りが柔らかくなっているので、とても可愛く見えます。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿
本殿鞘堂
境内社:宮代大明神