出石神社

豊岡市出石町宮内99(平成20年8月28日)

東経134度52分22.81秒、北緯35度28分44.04秒に鎮座。

 この神社は482号線・鳥居橋信号で東に入ると、約800m先に鎮座しています。
 石鳥居のある参道入口から入ると、鳥居の脇には「國幣中社 出石神社」と刻まれた社号標が建っています。参道には沢山の灯籠が並び、一旦道路に出ると道を隔てて参道は未だ続きます。額に「一宮」と書かれた両部鳥居を過ぎると、朱の神門が建ち、神門の脇には、旧鳥居の柱の残欠が置かれていました。神門をくぐると広い境内があり、入母屋造り平入り舞殿形式の拝殿の後方に透かし塀に囲まれた流造の本殿が建っています。境内右手奥には天日槍の墓と伝わる禁足地があり、大きな杜を形成しています。

 御祭神:天日槍命、出石八前大神
 祭礼日:10月20日
 境内社:比賣社、夢見稲荷社、天神社、弁天社
 由緒:出石神社は、天日槍命が、新羅の国よりお持ちになりました八種の神宝を出石八前大神として、また、天日槍命の大御霊を御祭神として斎祀しています。
 天日槍命は、古事記、日本書紀ともに新羅国王の王子であり、日本に渡来されたとし、その事蹟は記紀のほか古語拾遺、播磨国風土記等にうかがうことができます。
 八種の神宝とは、古事記には珠二貫(たまふたつら)・振浪比礼(なみふるひれ)・切浪比礼(なみきるひれ)・振風比礼(かぜふるひれ)・切風比礼(かぜきるひれ)・奥津鏡・辺津鏡の八種としています。
 天日槍命のご子孫には、田道間守命や、神功皇后があります。
 神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には、谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀り、天日槍命を祀ったと伝え、諸書によりますと、およそ千三百年前にはすでにこの地で祭祀がおこなわれていたことがうかがわれます。
 但馬の国一宮として当地では別名を一宮さんと呼び親しまれています。
 天日槍命は泥海であった但馬を、円山川河口の瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、現在の豊沃な但馬平野を現出され、円山川の治水に、また殖産興業に功績を遺された神として尊崇を集めております。
 現在の社殿は大正3年に再建され、透塀で囲まれた三間社流造りの本殿、その前面には切妻造りの幣殿と祝詞殿があり、拝殿は舞殿形式で入母屋造り平入りで蔀戸をつり、正面に拝殿の屋根と独立した平唐破風出桁の向拝は他に類のない建築です。神門は丹塗の八脚門で、数多くの蟇股を飾り、左右に連なる塀も丹塗りです。
 境内東北隅に約六百坪の禁足地があり、老樹が生い茂り、入れば祟りがあるといわれています。

「但馬国一宮出石神社由緒」はこちらで

神社入口
社号標「國幣中社 出石神社」 灯籠が並ぶ参道の様子
道路を隔てて参道は未だ続きます。
明治39年生まれの出雲丹後狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治39年(1906)11月建立)
参道に建つ二の両部鳥居
額には「一宮」の文字が。
参道に建つ社号標
「國幣中社 出石神社」
鮮やかな彩色の神門

神門脇には、「出石町指定文化財 旧鳥居残欠」が置かれています。
 
大正3年に再建された入母屋造り平入り舞殿形式の拝殿
拝殿前の縁に置かれた木製神殿狛犬
阿吽共に角付きで、元々は本殿縁の高い位置に置かれていたのでしょうか? 始めからこの位置に置くという想定では考えられないくらい下向きに造られています。
狛犬の拡大写真はこちらで
渡り廊下と祝詞殿 三間社流造りの本殿正面
大正3年に再建された三間社流造りの本殿側面
境内社:比賣社
境内社:夢見稲荷社
境内社:天神社
ご神木
この森の左奥に天日槍の墓
と伝わる禁足地があります。
絵馬
御祭神の天日槍命が泥海であった但馬を、円山川河口の瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流したという伝承が描かれています。