有子山稲荷神社
豊岡市出石町内町(平成20年8月28日)
東経134度52分38.52秒、北緯35度27分28.11秒に鎮座。
この神社は出石城跡・稲荷郭に鎮座しています。観光客の殆どは大手門からお城に上がっていきますが、神社探訪の私達はその東側に架かる有子橋からの参拝をしました。朱の神橋・有子橋を渡ると神社入口には明神鳥居が建っています。その後157段の石段には、おきまりの朱の稲荷鳥居が建ち並んでいますが、途中所々に城への出入り口があり、庭園跡や感応殿等を見ながらの参拝をしました。
神社は最上段の稲荷郭にあり、稲荷神社参道の終わり近くには「史跡 有子山城跡」碑がありますが、有子山城は出石城の築城以前に山名氏により造られた城で、わずか6年にして落城。慶長9年(1604)小出吉英により山麓に出石城が築城されるとその役割を終えた城です。
参道の暗さとはうって変わって明るい境内には、入母屋造り唐破風付きの屋根を持つ拝殿と、朱色で統一された優雅な流造りの本殿が建立されています。お狐様も4対も奉納されていました。境内北側からは本丸跡と出石の町並みが良く見渡せます。
主祭神:稲荷神
祭礼日:出石初午大祭・3月第3金、土、日曜日
由緒:創建は江戸時代・慶長9年(1604)で、城山稲荷とも呼ばれています。出石城の鎮守社で、江戸時代には珍しく藩主が旧暦2月の最初の午の日に、城の大手門を開放して城内のこの社に参詣を許したといわれています。当時、一般の町民が城内に入ることは許されておらず、祭りの日には遠く丹波、丹後からも参詣に訪れる人がいたそうです。
谷山川に架かる有子橋が参道起点となります。 |
社号標 |
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谷山川に架かる有子橋 |
神社入口 一の明神鳥居 |
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石段と稲荷鳥居の参道が始まります |
参道脇に見える東隅櫓 |
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石段と稲荷鳥居の参道はまだまだ続きます |
本丸跡入り口 |
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本丸跡に建つ「出石城」石碑 |
本丸跡から見た稲荷郭石垣 |
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本丸跡に建つ感応殿
石川五右衛門を捕らえたとの伝説がある、出石藩仙石氏の祖・権兵衛秀久公が祀られています。 |
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出石城本丸跡から上にも
まだまだ稲荷鳥居は続いています。 |
稲荷神社参道の終わり近く
左に祀られる末社 |
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稲荷神社参道の
終わり近くに建つ
「史跡 有子山城跡」碑 |
157段の石段を登った最上段、
稲荷郭に祀られる「有子山稲荷神社」入り口 |
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境内の様子 |
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拝殿 |
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本殿 |
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末社:恵方稲荷大明神 |
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有子山稲荷神社境内から見る本丸跡と出石の町並み |
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出石皿そば
現在出石には、約50軒もの蕎麦屋が建ち並んでいて、関西屈指のそば処として有名です。出石そばは宝永3年(1706)に信州上田から国替えになった仙石氏により伝来したといわれています。お店での注文は至ってシンプルで、何人前かを注文するだけで(普通は一人前5皿で出てきます)出石焼の小皿に盛られたそばと、薬味、徳利に入っただし、とろろ、玉子が運ばれてきます。伝統ある「三たて」(挽きたて・打ちたて・茹がきたて)製法による素朴なコシと風味は、出石の代表的な味覚となっています。
因みに、小食の夫は5皿、私は頑張って7皿いただきました。観光地なので余り期待はしていなかったのですが、本当にコシの強い美味なおそばでした。そば好きの夫は、この日から3日間おそばを食べ通しました。 |
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