鷹野神社

豊岡市竹野町竹野84-1 (令和2年9月18日)

東経134度45分56.48秒、北緯35度39分25.55秒に鎮座。

この神社は、JR山陰本線・竹野駅の北東1.2km程の辺り、竹野町竹野の街中に鎮座しております。

御祭神 武甕槌神・天穂日命・天満大自在天神

由緒
当社は延喜式神名帳に載っている古社である。
御祭神については武甕槌神(天つ神)を天孫系神族として尊崇し、御神威をあがめて出雲系神族(国つ神)を制御するため鎮祭されたと伝えられている。
後世に至り菅原道眞公を恐れるとともにその卓抜した文徳をあがめ、文道の神として天神信仰が広がった。
当社も道眞公を相殿に奉斎し、ご神紋も梅鉢を用い、浜の天神さんとして親しまれている。
境内由緒書き より。

由緒
創立年不詳。
古事記によると第4代懿徳天皇の第二皇子当芸志比古命は多遅麻の竹別の祖と記され、多遅麻之竹別については和名類聚抄には「但馬国美含郡竹野郷がある」と書かれる。和名抄は延長年中に源順が醍醐天皇の第四皇女勤子内親王の命を奉じて撰述した古書であり、竹野別はたかの別とよんだのであり但馬国には竹という地名はその他の文書に見えないから現在の竹野浜部落で、その氏族が居住していたための地名であると考えることができる。
同じく醍醐天皇の延長5年(927)に「延喜式」神名帳が撰修せられ、その巻10に「但馬国一三一座、美含郡一二座鷹野神社」とあるから、延喜の制に小社に列せられた式内官社である。
万治3年(1660)、社殿より失火し、社記、古記録を焼失するが、寛延2年(1749)刊行の大枝流芳の「貝尽浦の錦」には竹野浜を紀伊の和歌の浦、河内の住吉浦と共に日本浜三景の一つに数えられ、但馬竹野浦真図をのせて、その図に「加島」「誕生」と共に竹野浜に「天神社」の壮大な社殿をえがいている。
江戸時代出石藩の崇敬篤く、藩主度々参拝し随神門、鳥居が奉献。
兵庫県神社庁公式サイト より。

参道入口

入口左右の岡崎型狛犬

参道

拝殿

本殿覆屋