たつの市御津町室津74 (平成22年1月17日)
東経134度30分20.89秒、北緯34度45分45.24秒に鎮座。
【神社情報・Rumarin&Saiseiさんより】
創建は平安時代といわれ、本殿の祭神は賀茂別雷命と配神の建速須佐之男命、菅原道真命の三柱です。
室津小のすぐ北、室津港の南に突き出た小さな半島の上にあります。シーボルトが訪れて参籠所からの播磨灘の展望を絶賛するといった逸話も残されているように、とても景色が良い所です。この神社には8棟の国指定重要文化財や、野生の群生林としては日本列島の北限に位置するという県指定天然記念物のソテツがあり、その他にも一本彫りの見事な龍のいる四脚門や、五社造りの社殿のそれぞれにいる五対の木製狛犬など見所が非常に多い神社です。また、拝殿と本殿が向かい合わせになっている光景も印象的でした。拝殿で参拝すると播磨灘をご神体として拝んだことになりそうな気がします。
本殿と両脇に並ぶ摂社三社と権殿、拝殿代わりの唐門、そこから東西に延びる両回廊の8棟が国重要文化財で拝殿、四脚門、本殿の真裏にある御祖社が市有形文化財です。その全てが江戸時代の造営ですが、中でも一番古いとされているのは意外なことに市文化財の御祖社だそうです。どのようにしてこれらの建物が国指定と市指定に分かれたのかが気になるところです。
五対の狛犬は、もし社殿と共に作られたならば1699年ということになりますが、五対全てがそれぞれ違った姿形をしていることから製作年はバラバラだと思います。木造狛犬の古い新しいはまだよくわかりません。
室津は奈良時代に編纂された『播磨国風土記』に「室原泊」として記され、古代から良港として繁栄してきました。
その室津の地に賀茂神社が社殿を構えた起源や当初の姿は定かではありません。しかし、平安時代後期には社殿が五つ、六つ並びたっていたことが史料からわかります。
本殿と両脇の二棟を合わせた五棟の社殿は、いずれも屋根が流麗な檜皮葺の流造れ、古代様式の清楚で荘厳な佇まいを伝えるものです。
そして、五棟の社殿と唐門、両脇回廊を含めた八棟が国の重要文化財に指定されています。
下図は、文化元年(1804)に出版された『播州名所巡覧図絵』に描かれた境内と周辺の様子です。五棟の社殿に加え、御祖社、参籠所、拝殿、絵馬堂、四脚門(表門)に加えてソテツの群落など、今と変わらぬ社姿を見ることができます。
又、急な石段を登る参拝者や境内の商人、室津港に浮かぶ帆船や楫取社からの参拝道も描かれ、室津と賀茂神社の賑わいが活写されています。さらに、かつては多宝塔、藤棚のほか、御祖社には拝殿があったことなどもわかります。
江戸時代の室津には多くの外国人が上陸しました。オランダ商館長に同行した医師シーボルトは、文政九年(1826)に室津を訪れました、下の絵はその時に描かれたもので、室津の賑わいや賀茂神社について記述した紀行文とあわせ、当時を知る貴重な史料となっています。
室津は、海上交通の要衝として栄え、西国大名の参勤や外国人の参府にかかわり、人・もの・情報が行き交いました。賀茂神社は、こうした奥行きのある「港湾都市室津」の要となる歴史文化遺産そのものです。
たつの市教育委員会。原文と境内案内図はこちら。
参道入り口
参道左手の社務所
鳥居
四脚門
社殿正面
社殿左右より
東回廊より見る拝殿。本殿と向き合う、この造りを「飛び拝殿」と云うようです。寡聞にして初めて見ました。
拝殿内部
賀茂神社本殿
狛犬
片岡・太田社。片岡社、祭神 賀茂建角身命。太田社、祭神 意富多々泥子命
椙尾(すぎお)社。祭神 天照大御神・豊受大神
狛犬
貴布祢社、祭神 高龗命。若宮社、祭神 玉依日子命。
狛犬
権殿。本殿始め各社の造り替、修理等のとき御神体を移して祀るため予備の社殿。
神庫と白髭社
棚尾社
恵美酒社
八幡社
大宮社
楫取社
御祖社、祭神 玉依日売命。河合社。
龍
橋本・岩本・梶田社
絵馬堂と拝殿
多宝塔跡。廃仏毀釈で壊されたのでしょうか。
ソテツ。県指定文化財。野生では日本最北限だそうです。
楫取社前から見る播磨灘。