住吉神社

西宮市西波止町4-4 (平成25年12月8日)

東経135度20分13.65秒、北緯34度43分17.71秒に鎮座。

この神社は、西宮マリーナの北15m程の辺り、西宮港を見下ろす所に鎮座しております。また、西宮神社の境外末社となっています。

御祭神 住吉大神・西宮大神・速秋津姫大神

西宮の漁業は遠く中世の頃より営まれていました。その後江戸時代になると、進んだ漁法を携えて遥か房総半島に移り住み、彼の地の漁業発展に大いに貢献するほどでした。この付近の浜は「御前の浜」と呼ばれ、この沖で獲れる鯛は夷三郎殿(えびすさま)が釣り始められた鯛、また「前の魚」と呼ばれ、その美味なることは全国に知れ渡っていました。地引網によってイワシもたくさん獲れ。「手手かむイワシ」と威勢よく声を掛けながら市中で売られていました。
西宮で米穀商を営んでいた當舎屋金兵衛は、享和年間(1801-1803)に西宮の港を風浪の影響より避けるために、沖へ600間(約1090m)程築洲を造成する大事業を企て、この難事業の成就を祈請して、文化2年(1805)に住吉大神を勧請しました。当初はもう少し浜の先に祀られていましたが、明治2年(1869)にこの地へ遷座されました。
当時は、大消費地である江戸へ当地醸造の高品質の清酒が、「下り酒」としてこの港から船積みされ、港は大いに活況を呈していました。当社はこれらの海上運漕仲や漁業仲に特に篤く信仰されてきました。
平成17年(2005)7月には、御鎮座200年を記念して境内整備事業が行なわれ、金兵衛翁の顕彰記念碑も設置されました。

當舎屋金兵衛
元文5年(1740)〜文政7年(1824)
西宮で米穀商を営む。兵庫(神戸)と大阪の間に風待港の機能を持つ良港がなかったことを憂いて、西宮の港を修築することを決意し、この事業完遂によって西宮の町に発展をもたらそうとした。
そのために沖へ600間(約1090m)の築洲(防波堤)を築こうと計画し、享和元年(1801)に築洲勧進帳を作成して広く助成を募る一方、築洲完成を描いた絵馬を西宮神社へ奉納し、また当住吉神社を勧請するなど神明のご加護をひたすら祈念した。
工事も着々と進み、江戸への清酒の積み出しで賑わう西宮の港もより安全な港となった。
その後風雨のため築洲がたびたび破損して、当初の600間の築洲は完成を見ることはなかった。
境内由緒書き より

神社入口

鳥居

境内入口に立つ注連柱

玉垣内側すぐの浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(弘化3年(1846)丙午7月吉日建立)

拝殿

阪神大震災で壊された狛犬を再建された旨、石碑に刻まれています。拡大写真はこちら。
(平成8年(1996)12月吉日建立)

本殿


稲荷社
西宮濱戎神社

弁天社

境内より見る西宮港。正面は西宮大橋。