八幡神社

美方郡香美町香住区無南垣475-4 (令和2年9月18日)

東経134度41分31.63秒、北緯35度39分22.93秒に鎮座。

この神社は、JR山陰本線・佐津駅の北北東800m程の辺り、香住区無南垣の街外れに鎮座しております。

御祭神 誉田別命

由緒
文永7年(1270)、亀山天皇夷賊滅亡の勅願を立て給い幣帛を男山石清水八幡宮に奉り、躬親ら国難に代らんことを祈る。且つ院宣を諸国に下して神社を崇敬祈誓せしめ給へり。福井左近太夫秋葉安高は院の御領の公文として此地に在り宣旨を奉じ八幡宮を鳩山に勧請す。之を鳩山八幡宮と称し式内に準じて神輿及び兵器を奉納し、神戸を置き神田を封入す。之を宥免といい公穀を免ずるの儀なり。  福井左近太夫安高の曾孫新左衛門安昌武士となり、家を興さんと思い立ち、山城国八幡宮に参籠して祈誓をかけ、其御神託に依り本殿を再建。時に応安元年(1368)。
大永元年(1521)、無南垣村地頭塩治秀次御霊代を再興し、社殿を再建。
天文24年(1555)、秀次の男秀国当社を再建し、明暦4年(1658)又社を再建。
元禄2年(1689)、本社を修造。出石藩主仙石信濃守の命に依る。
享保3年(1718)草を開き、翌4年(1719)社殿竣工。
安永8年(1779)、八幡宮の神像を造り、文化7年(1810)右近衛大将花山院愛徳八幡宮の扁額を捧ぐ。
明治6年(1873)村社に列し、同34年(1901)神像を奉修。
兵庫県神社庁公式サイト より。

一の鳥居

二の鳥居

三の鳥居

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

境内入口

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

社殿

神額


末社