綱敷天満神社

神戸市東灘区御影1-22-25 (平成25年12月6日)

東経135度15分02.11秒、北緯34度43分00.26秒に鎮座。

この神社は、阪急電鉄神戸線・御影駅の南西1km程の辺り、神戸の住宅街に鎮座しております。社名の由来が「石の上に綱を敷く」から来ているように、ここ御影は「御影石」の語源ともなっている場所です。また、海側には灘の酒で知られる大手の酒造会社が軒を連ねております。

六甲山系の守護神は伊弊冊尊の御霊である白山権現であり、御影町北部の山麓は往古、竜神岡と呼ばれ、その中の天神山(現・御影山手)の荘厳な祭壇地に太古は祭祀されており、この地域一帯の総鎮守でありました。中世に現在の地に遷され鎮座地の古称を摂津国菟原郡覚美郷石屋村八色岡と言いました。

御祭神 菅原道真大神・別雷大神・倉稲魂大神・天穂日命

御由緒
社伝に依りますと、『茨城国造となられた天道根命が祝詞して、竜神岡の天神山に祖神・天穂日命と別雷神を斎き祀られたのに始まり、天津彦根命に伝えられ子孫代々鎮察す。』とあります。
また、『用明天皇の御代、聖徳太子が四天王寺建立のみぎり、石屋村の祖・山背王を石匠となし、石を切り出させたところ見事な鉱石が出たので、御影石と名付け、自ら「倉稲魂」と刻み、雷神の御社に合わせ祀られた。』とあります。その時、太子が御所持の「笏と黒駒の一角」を賜り、今も社宝として伝わっております。
そして、『後堀河院の御代、菅公九世の孫、菅原義輝公が、太宰府の神官に任ぜられ筑紫に赴く途次に当地を訪れ、その昔、道真公の特にゆかり深き地として社殿を建立し、石の上に綱を敷く由緒を以て「綱敷天満宮」と社名を定め、雷神の御社の相殿に崇め祀られ
た。』とあります。

特殊神事-八色雷公-綱打神事(つなうちしんじ)
この神事は、別雷大神縁起に伝わります全国的にも珍しい特殊神事で、綱打祭と呼ばれております。
社伝に依りますと、『天道根命の旧記に基づき、後鳥羽院の御代・文治二年(一一八六)より始められた神事です。一月八日に氏子の代表者が、小綱三十六本(閏年は三十七本)を十二本ずつ三束にして縒り合わせ太く這しい大綱を作り、注連柱に三巻き半に巻くように張り渡し、八本の白矢を突き刺し、多くの榊葉を束ねて下に吊し、御幣と麻緒を付ける。大綱は龍を表し、八本の白矢は八色雷公を意味し諸々の災いを除き、榊葉等は罪穢を祓い清める。この注連柱全体が祓具であり、ここを潜り抜ることによって一年間無病息災に暮ら
せる。』と言い伝えられております。
現在でも、氏子・崇敬者並びに参拝者等の厄除・無病息災をご祈念して、氏子総代・世話人達の手でこの神事は毎年続けられており、多くのご参詣の方々で賑わっております。
※一月八日・九日の両日、かみなり厄神と称し、厄除・家内安全ご祈祷を斉行致し、ご参詣の皆様方に厄除甘酒を接待し、厄除しょうが湯をお頒ち致しております。
参拝の栞 より

参道入口

平成7年1月17日の午前5時16分、阪神淡路大震災により倒壊した大鳥居の神額。

参道

阪神淡路大震災慰霊碑

綱打神事の注連柱

拝殿

ギョロ目でユニークな浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(文政元年(1818)9月吉日建立)

拝殿内部

拝殿奥深くにお住いの力士のような?

本殿


八色雷(やぐさいかづち)神社

八色雷神社を護る昭和の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和11年(1936)12月日立)

松尾社

草壁稲荷社

絵馬